toshiya of 写真とベルクのあいだで/写真家迫川尚子公式サイト

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夜の散策展 ○POPラベル.JPG

開店当初のベルク.JPG

喫茶「ベルク」は、1970年3月、今と同じ新宿駅東口改札のそばに詩人井野利也が脱サラしてオープンしました。
詩人の代表作である「夜の散策」は、その3年前の1967年に出版されています。
2006年1月、ベルクの壁を使って、迫川尚子の写真と「夜の散策」から抜粋した詩によるコラボレーション展をやりました。
代表作といっても、ほぼ40年前の無名の詩人の作品ですから、反応は全く期待しませんでした。
ところが、開けてビックリ、予想外の反響で、問い合わせ殺到、詩集も完売しました。
面白いと思ったのは、特に20代30代のサラリーマンやOLから沢山の感想やメッセージをいただいたことです。
利也自身、この詩を書いたのが30代半ば頃のサラリーマン時代でした。
詩集の帯には、詩人の村野四郎氏と安藤一郎氏から言葉が寄せられています。
谷川俊太郎、山本太郎をはじめ多くの詩人を発掘し、詩人協会初代会長でもあった村野氏(ぶんぶんぶん、はちがとぶの作詞家としても知られる)は、
「近年にない新しい詩的衝撃を受けた」
と。また20世紀の英米作品の紹介で知られる安藤氏(ヴァージニア・ウルフなどの訳本もある)は、
「とくに後半に向かう緊迫は強い印象を与えた。珍しい詩集である」
と。

夜の散策・表紙B.JPG


1

9.2.5


展示では、ソファー後ろの壁面にその後半のクライマックスを4枚の写真で構成しました。
フォト・ムービーでそれを再現。
安藤氏のいうように、これは「魂の告白」。私はブルースだと思いました。
スタッフも皆、静かにうちのめされていました。
皆、写真の上に印刷された詩を凝視するので、写真がよく見てもらえると迫川はご満悦でした。




店長




通信記事























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井野利也のPHOTO ALBUMより

9.2.13


井野利也
Toshiya Ino

1927年11.19 渋谷区青葉町に生る

1953年 3月  慶応義塾大学卒業

1953年 4月  大日本製糖入社

1956年12月  詩集「秋の体温」

1958年11月  宮澤やへと結婚
         住居を新宿区大京町へ

1966年11月  住居を中野ブロードウェイへ

1967年 1月  詩集「夜の散策」

1968年 1月  大日本製糖を退社

1969年 3月  晴山商事設立

1969年12月  新宿駅ビル監査役となる

1970年 3月  新宿ステーションビルB1にて
       喫茶「ベルク」を開店

1971年 6月  詩集「いっひ・びん・あらいん」

1976年 2月  詩集「抒情組曲」

1976年11月  詩集「寂光の果実」

1981年 8月  同人誌「夢童子」創刊




























ワインリスト編

9.9.13

2007.10-2009.1の1年3ヶ月、新宿BERGの「今月のワインリスト」を飾った詩人(BERG創設者)井野利也と写真家迫川尚子のコラボ(デザインby井野朋也)を、掲載順に一気にご紹介します。






写真 by 迫川尚子
音楽 by 井野朋也






























2006.1 BERG
2006.2 KARMA

10.4.12


2006年1月にベルク、
翌月2月に中野カルマの壁を使った
詩人(私の亡き父でありベルク創設者)
井野利也と写真家迫川尚子のコラボ
による『夜の散策』展の様子です。
毎年正月にお邪魔する迫川の
実家の写真なども。まだこのとき
姪の桜愛(さくら)ちゃんは
お母さんのおなかの中でした。




井野朋也





写真 by 迫川尚子
音楽 by 井野朋也





フィリップ・ゲイルさんのブログ












白穂乃香POP.JPG













アルノルト・シェーンベルク.jpgアルノルト・シェーンベルク
店名(ベルク)の由来

詩人であり、音楽評論家(SP時代、LP時代のクラシックレコード収集家)でもあった先代店主(創設者)井野利也は、店の名前を作曲家のアルノルト・シェーンベルクからとり、「ベルク」とした。
店の業態はレコード屋兼喫茶にするつもりだったが、営業許可がおりず、やむなく純喫茶で開業したらしい。今でこそ書店、ベーカリー、コンビニ、ガソリンスタンドなどにカフェを併設する複合業態は珍しくないが、当時(1970年)は画期的な発想だったろう。
では店のBGMはクラシックオンリーだったかというと、営業はほとんど人まかせだったため、若い従業員たちがリアルタイムでCCRやツェッペリンなどの60~70年代ロックをかけまくった。利也自身、聴く音楽はクラシック、ジャズ、ロックとジャンルにこだわらなかった。その伝統が現ベルクにも受け継がれている(シェーンベルクも、10年に1度くらいの割合でかかる)。
90年以降、新生「ビア&カフェベルク」は看板の店名にアルファベットを使うようになったが、つづりがBERGなので当初「バーグ」と英語読みされることが多かった。オーストリア生まれのシェーンベルクも、アメリカに亡命してからはアーノルド・ショウンバーグ(つづりはArnold Schoenberg)と呼ばれたという。
ドイツの地名や人名にBERG(ベルク)がよく使われることから、ビア&カフェベルクもしだいにジャーマンカフェとして認知されるようになり、ベルクという店名が定着した。ただし、ベルクのメニューにジャーマン色が強いのはあくまでも偶然である。
ちなみに埼玉のスーパー、ベルクのつづりはBELCである。ツイッター等でベルクを検索すると出てくるのは、ほとんどこのスーパーのベルクかビア&カフェベルクのどちらかである。次に多いのが作曲家のシェーンベルクかベルクだ。
ベルクという店名は今ではそれほど珍しくない。しかし、70年代半ばまでは全国に2~3軒しかなかった。
上の写真をクリックすると、シェーンベルクの浄夜(YouTube)にリンクします。