seed of 写真とベルクのあいだで/写真家迫川尚子公式サイト












迫川尚子PHOTO MOVIE
故郷の海
1992.8 In Island Of Tanegashima

10.6.17



井野「種子島・沖縄旅行が92年だったんだね」

迫川「93年くらいかと思った」

井野「ベルクを始めてからたったの2年。でも意識はすでに今とあまり違わない気がする」

迫川「その2年で店の土台ができたしね」

井野「ベルク本にも書いたように、駅ビルB1大改装で店を2ヶ月近く閉じた」

迫川「うちはせいぜい壁の塗り替えだけ。お客さんにどこが変わったの?と見回された」

井野「大改装という名のテナント整理だった。あの頃は小泉政権の前で、テナントの営業権は当然守られていた。家主の都合でテナントを整理する(追い出す)には、大改装しかなかった」

迫川「何千万もする改装協力費が払えないと、テナントは出て行くしかないのね。ベルクはその2年前に業態を変え、何とか協力費が払えた。ギリギリセーフだった」

井野「改装中は会長宅に社員全員が毎日集まって、1ヶ月近く会議した。話が尽きなかった。だんだんこわれてきたけど(笑)」

迫川「『おいしいコーヒーをどうぞ』って看板、ベルクの目印でしょ。それをまず作ろうということになって、キャッチコピーが決まらなくて1日悩んだ。さんざん議論したあげく『ズビズバコーヒー』でいこう!と。翌日、ふと冷静になって『ズビズバコーヒー』って、?(笑)。『おいしいコーヒーをどうぞ』にあっさり決まった」

井野「さすがに旅行でもしようということになり、私たちは種子島と沖縄へ。種子島で私は名越さんをスカウトした。迫川のお母さん」

迫川「私の父と母は、私が幼い頃に島を出たのですが、たまに島に帰ります。この時も夏休みということで一緒に島に遊びに行ったんだよね。数日、親戚の家にお世話になって一緒に生活を共にした」

井野「お母さんは面白い人だなとは思っていたけど、天然なのか計算なのかがわからなかった(笑)。でも、あの道化ぶりはことごとくポイントを押さえていて(笑)」

迫川「店長にそう言われて、自分の母親なのにまさかと思った。どうやって見抜いたの?」

井野「よく覚えてないけど、みんなお母さんのドジに笑う。俺も笑った。腹かかえて。あんまり可笑しくて、これは笑わされてるんじゃないかと思った」

迫川「ベルクで一緒に働くようになってから、私もわかったよ。確かにただのドジな人だったら、ベルクの仕事はつとまらない」

井野「つとまらないどころか、重要スタッフじゃん。ベルクのお花は名越さん担当ですが、あの場所の名物になっている」

迫川「店長と名越さんはよく親子に間違われるけど、私から見ても、声のでかいところと大食いなのがそっくり。気が合うよね。その始まりが種子島だったのか」

井野「あそこまで行ったから聞けた話もある。ほとんどが島の苦労話だけど、聞けてよかった。嫁いだその日に、お父さんに2人の弟、6人の姉妹がいるのを知ったんだってね(笑)。だまされた!って、よっぽど逃げ出そうかと思ったらしいよ」

迫川「いきなり8人の小姑と小舅か‥そりゃ逃げたくなるかも。ムービーの冒頭に5人の女性の写真が出てきますが、真ん中が名越さん、右端が私、あとのお3人がその小姑のかたたちです!それにしても、種子島の人はよく笑う」

井野「種子島スマイル!ほんと、いい旅だった」

迫川「ムービーには2枚だけ、屋久島の写真も使われています。お隣の屋久島にも行ったんだよね」

井野「あっ、このつり橋を渡る女の子と、滝の前の男の子の写真。いい写真だよね」

迫川「そうなの。親戚の子なの」

井野「考えてみれば、種子島は山がないからつり橋も滝もない。のっぺらとした島。一方で屋久島には九州一の山がある。ドラマチックな島。お隣同士でエライ違い」

迫川「屋久島は昔から観光の名所だった。種子島は鉄砲伝来で有名だけど(今はロケットでも)、あとは何もない島だと思っていた。でも近年、サーフィンの名所だし、食材の宝庫としても注目されてますね。トコブシの味噌漬けが子供時代の私のおやつだった。そしてこの銀色に光る海。私の原点です」


写真 by 迫川尚子
音楽 by 井野朋也






YAKUSHIMA 1992.8

11.7.19


1992年8月。

駅ビルB1大改装の年。

種子島
 ↓
屋久島
 ↓
沖縄

種子島から船が出る。


写真 by 迫川尚子
音楽 by 井野朋也






ISHIGAKIJIMA 1992.8

11.7.19

夏の石垣島を
半袖半ズボンで
自転車にのって
まわった。
アホ丸出し観光客。
島のひとたちは
長袖だった。
その意味を痛いほど
知ることになった。

でも全然観光地っぽく
ないのがよかった。

三線と泡盛と白保の海。
それさえあれば。

頭の中は
反米、沖縄、
そしてベルク!
でしたね。
(今でも!)

(井野)


写真 by 迫川尚子
音楽 by 井野朋也




首里城跡 1992.8

11.7.22



首里城が復元されて、
公園が開園したのは、
この3か月あと。
ワンちゃんがずーっと
ずーっとずーっと
道案内してくれて、
車に乗っても、
ずーっとずーっと
ずーっと追いかけて
きて。どこのワンちゃん
だったのか、とても
なつかしい


写真 by 迫川尚子
音楽 by 井野朋也




エレベーター職人、迫川通夫