hibakari of 写真とベルクのあいだで/写真家迫川尚子公式サイト

寺山修司が新宿のネルソン・オルグレンならば、
迫川尚子は新宿のヴァージニア・ウルフである。

森山大道(写真家)


『日計り』
よみがえる

9.12.11



90年代の新宿を
さまよう
『日計り』が
迫川尚子本人の
オリジナルプリントで
よみがえります。
来年、
有楽町で展示。
とりあえず、この
第一弾告知映像の
写真を使って
近々DMも完成の
予定です。
迫川尚子を
代表する一枚、
『北京飯店
(旧新宿南口)
2010年の
女子美の入学案内にも
使われることに
なりました。


(井野)

写真 by 迫川尚子
音楽 by 井野朋也






暗室

9.12.16



1月の『日計り』展に向けて
着々と準備は進む……

作業中の迫川尚子の
暗室についにカメラが
もぐり込みました!
って、本人が自分のカメラで
ひょこひょこ撮ってる
だけですが。


(井野)


映像 by 迫川尚子
音楽 by 井野朋也







写真展『日計り』の
DMとポスターが
できました!

9.12.17



デザインは、川畑あずささんです。
映像の編集と音楽、井野朋也。


◎迫川尚子写真展
『日計り』
空隔の街・新宿

日時:2010年1月16日〔土〕ー2月26日〔金〕11時ー23時
会場:日本外国特派員協会(FCCJ/外国人記者クラブ
〒100-0006
千代田区有楽町1-7-1 有楽町電気ビル北館20F
tel:03-3211-3161
入場料:無料




空隔の街・新宿

9.12.20

新宿は本にならない


私たちは、新宿駅構内の片隅に
「ベルク」という飲食の店を構えています。
「私たち」というのは、ここに紹介する写真を
撮った迫川尚子が、共同経営者の一人だからです。
ついでに、彼女は私の同居人でもあります。
15年分、新宿駅周辺を中心に撮りためたので、
新宿をテーマに一冊の本を出したい、と
迫川に相談されたとき、私は賛成しませんでした。
かと言って、反対する立場でもなかった。
お金はかかるけど、私のお金ではないですし。

せっかく時間をかけ、撮って焼いたものを、
そのまま眠らせておく手はない。店や路上では
既に展示していましたし、何らかの形で発表することに
私も異論はありませんでした。ただ、
写真集という形式をとるのが、ぴんとこなかった。
単なるメモリアルではなく、世に問う作品にしたい、
と本人の意気込みは強く、協力者にも恵まれ、
私も拙いながら文章を寄せ、名づけ親にもなりました。
結果的に写真集『日計り』(1)の出来栄えは、
想像以上に素晴らしいものだった。が、どうも
「新宿」的ではない気がしたのです。
本にすること自体が。

撮影には、何度か同行しました。
何を考え何に悩んでいたのか覚えていませんが、
じっとしていられなくて、新宿の街を
がむしゃらに歩いた、10代20代の頃の自分に
戻ったような気分でした。
迫川がシャッターを押せば、私も立ち止まり、
煙草をふかす羽目になります。
だから、一人のときとは歩き方が違います。
ただ、何を撮っているのかと相手のことが
気になる訳ではなく、たまに思いもしない方に
カメラが向いていても、それを横目で
「ふうん」と見るくらいでした。
街中、無数に氾濫する情報の、その
一つ一つに、私は私で反応しているのです。
が、そのあまりものとりとめのなさに
呆然となりました。

職場「ベルク」も、
新宿の雑踏の中にあるせいか、
めまぐるしく仕事に追われながら、
やはり呆然となることがあります
(雑踏のせいにしてはいけない?)。
新宿は、四六時中、色々な人が大勢来て、
帰っていきます。今、来たところか、
帰るところか、ただの通りすがりかすらわからない。
それぞれ、様々な目的や成果があるでしょう。
何のあてもない人もいるでしょう。
それらの人たちと、接することもなく
接しているうちに(低価格高回転の店で
なかば流れ作業的な接客です)、だんだん
無方向で無時間な感覚にとらわれます。

「新宿」をテーマにしたと言われる映画をいくつか
見ましたが、どれも違う、と思いました。
新宿はほんの背景に過ぎない、と言うか、そもそも
物語におさまりようがない。本も、映画よりは
頁をめくり直したり、マイペースで読む自由は
ありますが、始まりと終わりがある以上、
どう並べても、何らかの意味と方向性が
生れてしまいます。それが、私には
「新宿」的ではないと思えたのでしょう。

むしろ、明確な方向性がないと、出版社には
持ち込みにくい。迫川が用意した写真は、
本にするには十分過ぎるほどそろっていました。
「犯罪都市」とか「風俗の街」という観点から
興味本位に語られる新宿はあくまでもよそゆきの
新宿であって、もっと日常的な普段着の新宿で
いきたい……確かに、私たちにとって
そこは「いつもの場所」です。
編集を引き受けて下さった写真家の金瀬胖さんも、
その路線でタイトルを考えられていたようです。
それ以外にまとめようもなかった。
ただ、どうやってもしっくりこない。
写真が裏切るのです。

その頃、「くうかく」という言葉があるのを、
ある雑誌(2)で知りました。新宿でビル清掃の仕事を
していた詩人、山本陽子の詩は、既成の辞書では
殆んど解読不能です。ただ、それらを造語と呼ぶのも
ためらわれるのは、作者の見えすいた手口が
感じられないからでしょう。むしろ、言語そのものが
連鎖的に突然変異を起こしている。
「くうかく(空隔)」も、その一つです。対象が
あるようでない、しかし、どこかにそっと触れられている
(実際、手に触れてみたくなる(3))迫川の写真の
ありようと、その言葉の輪郭は似ている、と思いました。

「空隔」をタイトルの候補にしたとき、金瀬さんは、
それまで試行錯誤を繰り返していたダミー本を
全部ばらして、空中に放り投げたそうです。それは
放棄を意味した訳ではありませんでした。ただ、
無方向で無時間の混沌の中へ、一度、自ら
身を投げられたのかも知れません。

(1)…迫川の生まれ故郷、種子島に生息する毒蛇の名前。
   噛まれたら、その日ばかりの命と言われる。
   ただし、実際には無毒。
(2)…『重力02』中島一夫氏のスガ秀実論。
(3)…森山大道氏は、迫川にコメントを求められると、
   何も言わず、写真を撫でたそうだ。




(井野朋也/『自然と人間』2005年3月号グラビアより)





山本陽子さんが清掃員として働いていた
新宿西口の安田生命ビルは、段ボールハウス村と
目と鼻の先。運命を感じました。

この映像で使われた、2枚の写真、
1枚目は「北新宿百人町交差点」(1993年)
2枚目は「甲州街道付近」(1994年)
です。2枚目は女子美の広報誌の表紙にもなりました。
土門拳賞受賞作家でベルクのギャラリー顧問でもあった
鈴木清さんは、一度発表された人の作品に対し、
コメントはしないというのがポリシーでしたが、私が
「あえて」お願いすると、この「甲州街道付近」の
画面の右上のほう、黒い部分を指して、
「あなたの撮りたいのは、ここでしょう」
とおっしゃったんです。「こ、ここかー」
まじまじと自分の写真見ちゃいました。



(迫川尚子)





ここに最近刊行されたばかりの一冊の写真集がある。『日計り』(迫川尚子著、新宿書房)と題されたその写真集は、新宿駅ビル地下のビアカフェに勤務する一人の女性が、本人あとがきに曰く、毎日地下に潜伏する「モグラのような生活」の合間合間をぬって地上に顔を出し、頭上に広がる新宿の街にカメラを向け続けてきた記録の集積である。
そこには、全てのショットが九0年代以降に撮影されたとはとても思えない、戦後のバラック街のような新宿が広がる。朽ち果て崩れ落ちたコンクリートの破れ目からのぞく土、泥、草。廃品同様の一昔前のテレビ。ガラスの割れた横丁の電飾看板。ホームレスのダンボールハウス……。視線が向かう先は、戦後の高度経済成長が開発し均質に均し損なった"残余"であり、あるいは地上=表層に塗り固められた"成長"の物語が剥がれ落ちたその"カケラ"である。
これらの新宿が一向に暗さを帯びないのは、モグラが"カケラ"を見つけては嬉しそうに戯れているからだ。その姿は、やはり残存する「路地」を求めて新宿にやってきた中上健次や、空襲下の瓦礫のそこかしこに「白痴」の顔を見出しては享楽に耽った坂口安吾を彷彿させる。そして、林芙美子が闊歩したたずんだ新宿も、またそのようなものではなかったか。
今や『放浪記』を論じる誰もが参照する『モダン都市東京』の海野弘は、「終戦後のバラック時代の遺物だと思っていた」横丁が、「『放浪記』によれば、一九二0年代にすでにあったようである」と述べている。最も計画的に都市化されたようでいて、その実つぎはぎ的場当たり的に発展していった新宿には、戦前戦後を通底する"カケラ"が、見ようと思えば至る所に見出せる。



(批評家・中島一夫の林芙美子論『掲示板の詩(うた)』より)



※『日計り』という写真集の方向性は、私たちが『重力02』という雑誌に掲載された中島一夫さんのスガ秀実論『隣接に向かう批評』を読んで、触発され、決定付けられました。
※『隣接に向かう批評』は、ベルク本とほぼ同時期に出版された『収容所文学論』(中島一夫著、論創社)でお読みになれます。


(井野朋也)






詩/山本陽子
写真/迫川尚子
音楽/井野朋也







大久保の少女

9.12.23

日計り


私の生まれ故郷、
種子島にハブはいませんが、
ヒバカリという、
島の人たちによれば、
ハブより猛毒な毒蛇がいます。
浜辺の草むらに足を踏み入れてはいけない。
もしヒバカリに噛まれたら、
陽が沈むまでの、
その日ばかりの命というのが
名前の由来です。
「ヒバカリ」には,
「光」という
単語が含まれています。
「日を計る」とも、
「陽を狩る」とも読めます。
写真を暗示しています。

ただ、正直、写真とは何か、
と考えたことはありません。
特別なテーマがあって、
これらの写真を
撮った訳でもありません。
新宿ターミナルの地下街に
職場があるため、
毎日、少しでも、
カメラを持って地上に出ます。
その時は、
新たな一日の始まりという
気持ちがあるだけです。

大通りから裏道へ入ると、
アスファルトの模様まで変わります。
そんなことを思いながら、
歩いています。
障害物がある訳でもないのに、
歩きながら私はよくつまずきます。
余りにつまずくので、
呼びとめられていると
思うことにしました。
そんなに急いで、
どこへ行くの?と。
振り返れば、
電信柱の脇から小さな花が顔をだします。
見知らぬ少女と目があいます。
猫がうずくまっています。

その度に、
シャッターを押します。
ありきたりな言葉ですが、
どれも、一瞬の出来事です。
一枚一枚の写真が、
その結果としてあります。
出来事というほど大げさなものでもなく、
本当に、その少女や猫と、
軽く挨拶する感じです。
だからシャッターを押すのは、
だいたい一回限りです。
同じ人や物と二回も三回も挨拶をするのは
おかしいですし。
もちろん、
どの写真も、
狙った対象だけが
うつっているのではありません。

私自身、
狙っているのは、
実は、光なのかもしれない
と思うこともあります。
光が差し込む瞬間。
ふだんモグラのような生活をしているので、
それだけで驚きなのでしょうか。
もっと正直に言います。
狙うまでもなく、
カメラを向けた瞬間、
光がその対象を照らすのです。
私の方が狙われているみたいです。

少なくとも、
私が何か対象を狙っているという
感じはありません。
対象とは、
そもそも、一体
何の対象でしょうか?
好奇心?
記録?
それとも表現のため?
いえ、そんな思惑が働く余裕がない程、
ある意味、
それらは抜き差しならない
相手なのです。
自分と全く無縁ではない。
でも身近とは言いきれない。
その相手との目に見えない隔たりにこそ、
何かがあります。
そのモノ自体より、
一層無防備に。

それはむしろ
写真から私が教えられたことです。
気がつけば、
19年間、
新宿を撮りためていました。
でも、あくまでも、
その日ばかりの新宿です。
うまく言えませんが、
写真を見ていただければ幸いです。



(迫川尚子)



映像
1枚目の写真「大久保1丁目」(1990)
2枚目の写真「昭和館」(2002)
3枚目の写真「新宿御苑」(1994)
4枚目の写真「東口映画看板前」(1991)
5枚目の写真「ゴールデン街」(1990)
6枚目の写真「新宿3丁目」(1990)




★『日計り』別冊付録(24ページ)からの引用

新宿の街が、画面から飛び出しそうな勢いで連なっていた。酒で言え荒走りだ。
英伸三(写真家)


写真は、ボケた背景の方から悪しき想像を逆なでするためにあるのかもしれない。
金瀬胖(写真家)


新宿のような街は、どう見ても権力者の都合のいいようにはつくられていない。
井野朋也(BEER&CAFE BERG店長)


この新宿はポストモダン都市以上に錯乱している。静かに錯乱しているのだ。
スガ秀実(文芸評論家)


この町を途方に暮れて、ただひたすら途方に暮れて、私は自転車に乗って回る。
平井玄(音楽文化論)


到達までのルートを延々と引き延ばしている、そんな感触が『日計り』はある。
鈴木一誌(ブック・デザイナー)




写真 by 迫川尚子
音楽」 by 井野朋也





ホームレスを干す女

9.12.24



写真って、
ふつう暗室に
干さない?
だめだよ。こんな
ベランダにシュールな
干し方しちゃー


映像 by 迫川尚子
音楽 by 井野朋也







DAY IS DONE

10.1.12

『日計り』と私

大松幾子先生は、全国に沢山のお弟子さんがいる朗読の大先生だ。私は先生になぜか可愛がられた。娘と一緒に買い物をするのが夢なの、と息子さんを紹介されたこともある。後を継いでほしいとのことだった。先生は、私がベルクで働いているのをご存知だった。でも、一生の仕事とは思われなかったのだろう。ベルクが忙しくなるにつれ、私はだんだん朗読から疎遠になった。ある日、先生から連絡があり、お会いした。イヤリングをいただいた。先生は大病の後だった。もう一度、後継者にと説得された。嬉しかった。と同時に、ベルクがいかに大事か、どう説明すればわかっていただけるだろうともどかしくもあった。私の上司でもある、迫川尚子の写真集『日計り』が出た時、それを先生にお送りした。すぐお手紙をいただいた。この方はきっと優しくて厳しい方ね、アングルが的確で、その中に暖かなまなざしがあると先生の感想が書かれてあった。私がどういう環境にいるか、察していただけたのだ。文面からそれが伝わってきた。もしかしたら、私は優秀な弟子なのでなく、頼りなくてご自分で育てようと思われたのかも知れない。だから安心されたのかも知れない。数年後、先生はなくなられた。最後まで朗読の現場で活躍されたそうだ。『日計り』は、私にとっても特別な意味を持つ本なのだ。

今香子

word & music by NICK DRAKE
photo by NAOKO SAKOKAWA




レセプション

10.1.20



JR有楽町駅、日比谷口、電気ビル20階、
外国人記者クラブで『日計り』展やってます。
寿司バーとメインバーの2カ所。

この展示のために、私、数年ぶりに暗室に入りました。
カンを取り戻すだけでも大変なのに、全倍サイズに初挑戦。
大きなロール紙を部屋までどうやって運ぶかが最初の難関でした。
ひきずるしかないんですけど…。追加注文するにしても、
次の入荷は春。そのくらい印画紙って、需要ないんですね。
今、全倍を自分で焼く写真家は日本に私だけ?と思えたほど。
紙自身もなれない感じ。
もう一つ昔と違ったのは、自分の撮った写真なのに、
一個の独立した人格と言うか、『日計り』という歴史的産物が
そこにはあって、私の方が胸を借りてる感覚になったことです。

18日の夜にはレセプションを催していただきました。
20名まで呼べるとのことでしたので、身内のベルク・スタッフ、
両親、弟夫妻に参加してもらいました(ちょうど20名)。
あとは会員の方々。



迫川


映像 by 迫川尚子&迫川英樹
音楽 by 井野朋也








レセプション
宮崎智子編

10.2.16

写真 by 宮崎智子
音楽 by 井野朋也


FCCJ





撤去の朝

10.3.1



有楽町のプレスクラブでの
『日計り』展、無事、終了致しました。
ありがとうございました。無事、とは
書きましたが、展示に関しては何の
問題もありませんでしたが、けっこう
ヒバカリは暴れん坊で。
2004年の発表当時も店のガラスが
割れたりなんかして、
(もっと、すごいことも‥)
一波乱も二波乱もあったのです。
今回も‥
まあ色々ありましたが
厄をはらってくれたのでしょう。
いよいよ撤去の日の朝。
まだ照明もついていない会場の
自然光のみで撮られた映像。
ふつうのギャラリーやベルクでは
ありえない光景ですね。



(井野)




沢山の方に来ていただいて、
ありがとうございました。
外国人特派員のサロンというとても
素敵な場所だったんですが、わざわざ
いらしたお客様にはちょっと
わかりにくかったでしたね~。
エレベーターで最上階に降りると、
一見、ものものしい雰囲気。
特に案内もなく
エレベーターから降りれずに
そのまま帰られた方もいたようです。
残念!
最終日も、DMをもってウロウロされている
方がいたので声をかけると、
「ベルク・ファンです!」
と喜んでいただいて。カバンに
ベルク・バッジが全種、付いてて。
こちらこそ感激。
ずーっと会場に
いられたらよかったんですけど。
また、やりますんで。
よろしくお願いします。



(迫川)



井野「キャプションは途中からつけたんだよね」
迫川「そう、店長の提案で。撮影した場所と年だけ」
井野「あまりキャプション、つけたがらないよね」
迫川「意味がついちゃう(限定されちゃう)のがね、何かいやで」
井野「でも、一つ一つの写真に色んなエピソードがあって、それを聞きながら見るのも面白いよ」
迫川「かえって写真の見方が広がったりするんだよね」
井野「例えば、これは、新宿の中央公園?」
迫川「そうです。数名のボランティアがいて、そこにそれぞれホームレスが何人も並んでて、順番に散髪してもらってるところです」
井野「よく見ると、ぼーず、と張り紙があって、そこに知らないで並ぶとぼーずにされちゃう(笑)」
迫川「張り紙は写真に写ってますが、確かに私はここで寄らずに引いて撮るので、気づく人は気づくでしょうが…」
井野「そういう解説もあると、親切ではある」
迫川「うちのお客様がこの写真を見て、お母さんだ!!って(笑)」
井野「えっ、どっち?ホームレス?ボランティア?」
迫川「(笑)ボランティアの方。知らなかったって、娘さんはおっしゃってました」
井野「偶然なんだ」
迫川「そういうことはよくあります」
井野「偶然といえば、あの寅さんの写真」
迫川「段ボール村最後の日ですね。火事のあと、住人のホームレスたちが自主撤去しまして、その日、初めて撮らせてもらったんです、寅さん、とお呼びしてます。他の住人はけっこうお邪魔して、撮らせていただいたんですけどね」
井野「恐かったんでしょ?寅さん。取材カメラマンはみんな一度は殴られてるって」
迫川「私は殴られませんでした。女には手を出さない。でも、やっぱり近寄りがたくて」
井野「最後の日に、意を決して、声をかけた」
迫川「そうしたら、煙草を持って、ポーズをきめてくれたんです」
井野「元ヤクザというのは聞いてたけど、この写真を店に飾ったときにうちのお客様で、ほら、元ヤクザの幹部の方がいらっしゃって」
迫川「すごく優しげな、ふつうのサラリーマンと思ってたら‥」
井野「もちろん、今は堅気の方なんですが、うちはこの方に2度助けられてまして(笑)」
迫川「ちょっと迷惑な酔っ払いさんがいたんです。そうしたらふだんあんなもの静かな方が、突然どすをきかせて、もういっぺんに酔っ払いさんの酔いはさめたみたいで(笑)。すごいよね。一喝で」
井野「ひょんなことで、その方の身の上話をうかがうことがあって、昔は私もちょっとぐれてて、なんて話から判明したんだよね」
迫川「その方が、寅さんの写真を見て、なんでこいつがここに写ってるんだって。つじつまが合っちゃいました(笑)」
井野「この寅さんの指、今はないんだよね。つめたんじゃなくて」
迫川「そうなんです。ニュースにもなりましたが、中央公園で爆発事件があったでしょ。ゴミ箱のところに不審物があって、それを‥」
井野「でも、ホームレスはそういう怪しいものには絶対手を出さないっていうじゃない?」
迫川「何か、責任感から確かめるのは自分と思ったらしいよ。まさか爆弾とは思わないし。ついてないよ。でも、一命はとりとめましたけど」
井野「今回、お客様の反応も面白かったね。批評家の中島一夫さんと薫さんご夫妻が大阪からわざわざいらっしゃって」
迫川「ごいっしょできて、ほんと、楽しかった!」
井野「この映像でも、後半あたりでお二人の写真が出てまいります」
迫川「お二人を両脇に、店長と三人で撮った写真も」
井野「薫さんが、この高田馬場の写真を見て、これは昭和だ、と」
迫川「実際には、平成の写真ですけどね」
井野「これ、お豆腐屋さんでしょう?お店の人が水をまいたら、通りがかりの女の子が思わずシェーのかっこうになった」
迫川「映像では、冒頭で私の両親と店長がこの写真を前に、喋っています。でも、シェーって今の人わかるかな。赤塚不二夫?」
井野「イヤミ(漫画のキャラクター)のポーズ。ジョン・レノンもお気に入りだった」
迫川「気分はもう60年代‥」
井野「薫さんは、この女の子は私だ!っておっしゃってました。このおてんばな感じ?小学校3年生くらいかな。買い物かご持って」
迫川「うーん、商店街を子供がお買い物。確かに、昭和が漂いだした(笑)」
井野「よく見ると、この女の子、おなかのあたりに名札をつけてます」
迫川「これ、薫さんが発見したんです。ここまで大きく引き伸ばしたからわかった。と言っても、私は気づかなかったんですけど」
井野「学校名と氏名が何とか読める」
迫川「今じゃ、ありえないかも。子供が名札をつけたまま外を歩くなんて」
井野「だから、昭和なんだよ」
迫川「この写真、毎日新聞にのせていただいたことがありまして、そうしたら、新聞社にこのお豆腐屋さんの甥っ子さんという方から電話が入ったそうなんです。ちょうどお豆腐屋さんがその月、40年の歴史を閉じることになってて、記念にこの写真をプレゼントしたいって」
井野「新聞社から連絡が入って、すぐ額縁に入れてお送りしたね」
迫川「一枚の写真が、色んなことを呼び起こすなと思いました」
井野「この雪の写真。これは外国の人が驚いたんでしょう?」
迫川「あ、ジェフ・リードさん。イギリス出身の画家です。世界中のホ-ムレスを絵に残している方」
井野「最初、あなた、ジェフ・リンって言ってなかった?」
迫川「似てるよね?」
井野「似てるって‥全然違うよ!(笑)みんな驚いてたよ。ジェフ・リンが見に来たって言うから」
迫川「失礼、失礼。ジェフ・リードさんです」
井野「雪の日、ホームレスが路上で寝ているこの写真をご覧になって、なんでシェルターに入れないんだ!って叫ばれたんでしょう?」
迫川「そうなんです。日本ではある意味見慣れた光景が、外国の人には驚異だった。そのことに私は驚きました」
井野「しかし、プレス・クラブではけっこうゆっくりできたね」
迫川「店長は、スタッフの方々から、フードファイター!って呼ばれてたよ」
井野「だって、安くておいしいんだもん。会員の特権なんだろうけど」
迫川「展示期間中だけ、私も仮会員ということで、3人までゲストが呼べたんです。連日、ベルクのスタッフや親戚、知人と飲んで食べて満喫させていただきました。外国人記者のサロンですから、昼からワインを飲みながら打ち合わせとかしてるんですね。全然なじんちゃって」
井野「撤去の日の朝、ぎりぎりで田島燃さん、ちかさん夫妻も来て下さいました」
迫川「ついでに、梱包、運送までして下さって。助かっちゃった(笑)。燃さんは、ベルクの椅子とテーブルを、ちかさんは豆ピクルスを作って下さっています。お二人の姿も、中島夫妻の後うつります。店長と一緒に、『日計り』の表紙の写真を前に」
井野「その前夜、最終日に二人でささやかに打ち上げしたシーンもありますが…」
迫川「ここ、よかったね。タバコ・スポット」
井野「当然の如く、プレス・クラブは全面禁煙。最上階から一階まで降りて、ビルの横にある喫煙所までよくタバコを吸いにいきました」
迫川「この店長が撮ったタバコ・スポットのシーン、いいよ」
井野「映像でラストの写真も、ここ。あなたがライカと煙草を持ってる」
迫川「『日計り』の大半の写真は、このライカで撮っています」
井野「何はともあれ、酒と煙草とカメラは手離すことができない迫川尚子でした」




映像&写真 by 迫川尚子
音楽 by 井野朋也







歌舞伎町1丁目
〜『日計り』表紙の場所へ
ふたたび

9,4,18


映像 by 迫川尚子
音楽 by 井野朋也



70MANTAS

10.3.8



いよいよ本日から、
渋谷のロック・スナック&ギャラリー
70MANTASさんで、
『日計り』のロック・バージョン、
始まります。70年代のヘビメタですか?
とマスターにうかがったら、
石原裕次郎もかけます、とのこと。
なんか、ふらっと寄れそうな
気さくな雰囲気のお店。
金・土曜日は胡桃ちゃんが、
人生相談にのってくれるって。
精悍なわんちゃん、でも、女の子、
なつっこい。マスター手づくりの
金の首輪がばっちりきまってました。


迫川



迫川尚子写真展「日計り」

●日時:2010年3月8日~4月3日

●場所:70MANTAS
    渋谷区桜丘30-9桜丘ビルB1右

●時間:7:00PM-2:00AM
    土曜日は0:00まで。日曜祭日定休。

●電話:03-3463-5341

POP by 岩切等
映像 by 迫川尚子
音楽 by 井野朋也





70MANTAS

10.3.24
10.4.7





現研ギャラリー 
撤去の日

10.4.21


3ヶ月におよぶ
『日計り』の巡回展、
お陰様で無事終了いたしました。
ありがとうございました。

迫川


「あれ?どこかでお会いしました?」
エレベーターの中。
私たちは搬入で5階に向かうところ。
たまたま居合わせた男性が、
5年前、区の地域センターで開かれた
「写真家・迫川尚子の視点~私が新宿地下道を撮った理由」
に集まったメンバーのお一人だったのです。
え?このビルのオーナー?あら~。
迫川が、これから飾り付けなんですと言うと、
ビルの入口にポスターはっちゃえばと
オーナーの権限でお許しをいただいて。
あら~。現研の事務の方も、いいの?とビックリ。
いやーヒバカリくんの粋なはからい?
早速私の作ったポスターをはらせていただきました。
電信柱もすすめられましたが、オーナーの
権限もそこまでは及ぶまいと思い、
遠慮しておきました



井野


映像 by 迫川尚子
音楽 by 井野朋也


写真学校:現代写真研究所ー写真の基本技術と表現、見る視点を磨く学校








日本外国特派員協会、会員に

10.4.24


すみません‥
この映像、酔っぱらってます。


ジャーナリストとしての実績と
2人の外国人記者からの推薦が
会員になる条件でした。ダメ元で
受けました。ら、なんとパス。
こちらで写真展をやったのが
有利に働いたようです。
写真展を企画して下さった
イギリスの写真家トニーさん、
それから展示中毎日のように
食事をご一緒した(偶然)
カナダの記者スミスさんの
推薦をいただきました。
スミスさんとはあの人がごった返す
巨大な幕張のフーデックス会場で
私たちがクロアチアワインを
試飲している時にもばったり遭遇、
もうお願いするしかないと思って。
バーやお寿司屋さんが
めっちゃ安くておいしくて、昼から
飲めるのが‥たまりません。
そこのスタッフの方たちに、会員に
なるよう強く背中を押されたのです。
ですので、会員になったご報告を
まずスタッフの方たちにしなくちゃ
という名目でまた昼から飲みに‥。
皆さん、とても喜んで下さいました。
会員は10人までゲストが呼べます。
是非、今度ご一緒しましょう!!




迫川





映像&写真 by 迫川尚子、井野朋也
音楽 by 井野朋也








Photo Exhibition Reception


Time: 2010 Jan 18 19:00 - 20:00
Summary:

To Regular & Professional/Journalist Associate Members:
Description:

Hibakari
by Naoko Sakokawa

Main Bar: 19:00-20:00 Monday, January 18





In Tanegashima, place I was born, has no "Habu" (a venomous viper native to

Okinawa), but according to the natives of the island, there is a snake more

poisonous than that, called "Hibakari". We are told as young child not to

go into the fields by the ocean after dark. If bitten by one, by the time

sunsets, your life is terminated. This is where the name "Hibakari" came,

from "measuring the day light", but also, in the picture, meaning "hunting

for the light", hinting "photography".



Honestly, I've never thought what photography is. I didn't take photos with

a special meaning or theme. Since my work place is underground at Shinjuku

terminal, I try to go out everyday, to start off a new day, making a fresh

page in life.



From_the large avenues, once behind the alleys, patterns of asphalt changes.

I walk through the alleys thinking about that. There are no obstacles, but

I often stumble. It feels like something is calling me to stop, so I

decided to believe that. I ask myself, "where am I going in such a hurry?"

Then, looking around carefully, I find a little flowers blooming behind the

telephone pole, making eye contact with a little girl passing by, cat

crouching in the sun.



Each time, I press the shutter. It's been said so many times, photo is an

incident, catching that moment. Each photo is a result that exists.

Incident is no such big matter. Honestly, it's just like greeting with that

little girl or cat very lightly. Therefore, I only press the shutter once.

It's awkward exchanging greeting with that person several times at that

moment. Of course, in all photos, not only the subject is in frame, but

also the vicinity.



I, myself, am probably aiming for the light that inserts at that instance.

May be due to living like a mole, underground, I feel startled. To express

more directly, it's not aiming, but more of capturing the image immediately

after pointing the camera, where the light shines the object. I feel that

I'm being targeted instead.



At least, I don't eel that I'm targeting anything. Object of photo, what is

that object? Curiosity? Or is it to express myself? No, I don't have the

time to ponder about that. It's more like getting oneself into a fix from

the others. I feel that the object is not irrelative to me but still, not

nearby. There seems an invisible wall in between the object and myself. By

that object, I feel rather defenseless.



Despite all that, from photography, I've learned much. I've realized that

it's been already 19 years of taking photos of Shinjuku. But after all

that, it's still Shinjuku, that day "Hibakari" of Shinjuku. I can't explain

well, but please take the time to see the photos and see what I mean.





Profile of Naoko Sakokawa



Born in island of Tanegashima, Kagoshima Pref.

Joshi Bidai Art and Design, dress designer major, studied modern

photography.

From_textile design and editing illustration book at art design publisher,

in 1990, joined the co-management of Shinjuku "Beer & Cafe Berg".

Currently, director and vice store manager.

Also licenced chef, sommelier of Japanese sake, and art navigator.

Whilst working 364 days a year, escaping from workplace, traversiong taking

photos of Shinjuku and Tokyo.

「日計り」表紙.jpg