private.4 of 写真とベルクのあいだで/写真家迫川尚子公式サイト

ミャン、享年24才

10.3.6


3月5日朝、会長(母)からメールが。
<ミャンコチャン つい さっき 天国に行きました>

(数日前のブログより)
迫川「ミャン!私たちがベルクを始める3、4年前からいるよ」
井野「えっ、ってことは23、4歳。長生き」
迫川「ちょうど今頃じゃない?生れたばかりの捨て猫だったと思うけど、冬の夜道を店長の足にしがみついてきたんだよね」
井野「家に入れるかどうか、一瞬悩んだけど、あの時、入れなかったら死んでたんだろうね」
迫川「だって、当時、私は会社勤めでしたが、翌日会社を休みました」
井野「子猫と遊ぶために会社を休んだ、と」
迫川「うん!ミャン、ケンタッキー・フライド・チキンがつがつ食べた」
井野「今は、お隣で会長(井野の母)と暮らしています」

週に1日、会長宅でご馳走になるのですが、食後、迫川は必ず酔っぱらってミャンとじゃれながら写真を撮っていました。その一部をムービーに。主に4年前の迫川のインターフェロン治療中、治療明けの頃の写真です。最後の方の涙目になっているミャンは(いつものドライなミャンとは少し違う…)最近の写真で調子を崩していたからでしょうが、泣いているようにも見えます。
ラストの眠っているミャンの手と2本の指は、ミャン生前最後の写真。1本は迫川の指。もう1本はライナの指です。ライナは下に住むのらかば(ベルクの社員で私の弟)の娘。今、小学校1年生。ずーっと猫が恐くて会長宅に近寄れなかったのですが、それを克服し、今ではイリビタリ状態。おばあちゃんを困らせています。あんまりおばあちゃんにべったりなんで。
今日、ミャンの出棺で、ペットの葬儀屋さんに頼んだのですが、人間でいったら120歳ですからね。驚いて(自分の経験では、最高齢だと)、「何を食べさせてたんですか」と聞いていました。会長が「小さいときは鰹節しか食べなかった」と言うと、それでカルシウムをとって、骨が丈夫だったのでしょう、と。そして環境がよかったのでしょう、と。会長も120歳まで生きて
もらおうという話になりました。愛染(ベルクの社員で私の弟)からは会長を気遣うメールが、ノラカバからはライナは泣いてましたか?というメールが届きました。会長、ライナ、迫川、私の4人で見送ったのですが、ライナは、どうして?なんで?と「?」がいっぱいになり、迫川がなんでだろうねー不思議だねー死んじゃったんだよーと説明になっていない説明をしていました。でも、車が出るときは、何となくお別れとわかったらしく、いやだ!とむしろ拒絶していました。


(井野)





最後の頃はさすがによれよれでしたが、会長の話では、なくなる数時間前まで、高いところに飛び上がろうとしていた(もちろん、断念)そうです。病気らしい病気をしたこともなかったし、最後の1日だけ何も食べず、コホコホと咳をして、動かなくなったそうです。死に方としてはきれいというか、自然死と呼べるものかもしれません。
生き物の死は、いつも何か教えられたような気持ちになりますね。愛染さんから、また店長の携帯にメールが届いたようです。
<まさに大往生。しかもこの一月ほどは、贅沢メニューを平らげていた、と聞いていたので、なんと理想的猫人生なのだと思いました>




(迫川)









写真 by 迫川尚子
音楽 by 井野朋也