デモへの誘(いざな)い
11.4.12
デモの後のビール、最高っすね~!!
しかし、デモに出ただけでサヨクって、なに?その図式的感性。ふる~い。化石じゃないんだから。
いや~申し訳ないけど、気晴らしにいかせてもらいました。だって、警察の護衛つきで車道を堂々と大声はりあげながら歩けるんです。久々に身が軽くなりました。この1ヶ月、鬱々した気持ちでいたんだなぁと改めて実感。ぜひ、おすすめです!(今後も、いくつかデモ計画があるようです。)
そうなんです。震災からちょうど1ヶ月、4月10日の日曜日、東京で2つの大きな反原発デモがありまして、両方に参加してきました。
まず、芝公園~東電本社前経由の「浜岡原発止めようデモ」2500人!福島みずほさんの後ろを歩きました。「牛乳が飲みたーい!!」それから、高円寺の素人の乱が呼びかけた「原発いらないデモ」何と15000人集まりました。さすが!「ほうれん草食わせろー!!」ただ、高円寺のほうはほとんどのマスメディアが黙殺しています。おかしい(スポンサーの圧力?)。
まあデモに関しては、「うるさい」とか「ただのお祭り騒ぎ」という意見がありますが(もちろん、無視できない意見ですが)、今は怒りの矛先を事故の責任者(東電社長とか?)に向けなけりゃ。というか、本当は誰に怒っていいかわからない。このやり場のない怒りをせめて誰かと共有したい。それに今騒がなくていつ騒ぐの?という気もします。
デモはとりあえずこのどうしようもない状況へのブーイングなわけで(それもりっぱなメッセージです)、どうせなら東電本社前へと私も思いましたが、あれだけ多くの若者が集まったのは、やはり高円寺だったからでしょう。デモって、ある程度数もそろわないと意味がない。そう考えると、15000という数は大したものだし、大成功だったと思います。
人数が増えれば増えるほど、地元の福島や世界に向けて、東京の人間も黙っちゃいないということが効果的に示せますからね。
内ゲバ以降デモにしみついた暴力的イメージは、若い世代がぬりかえてくれるでしょう。名古屋では女子高生たちが菜の花を持って行進したそうです。高円寺のデモにも、菜の花を持っている人たちがいました。みんな思い思いの格好で、仮装パーティーみたいでした。
(井野)
4/10高円寺原発やめろデモ主催・素人の乱松本哉さん語る「僕は小池さんに入れます」
レイバーネット 若者パワーがついに炸裂!~高円寺・反原発デモに15000人
(※個人的メモ 上から5番目の写真の1番右がホー娘。)
原発いらない!浜岡とめろ!福島とめろ! 2500人が反原発を訴えてデモ行進 [ch0]
(※個人的メモ 上から2番目の写真が生田卍。)
ネット上での「素人の乱」への風あたりは強いようです。出る杭は打たれる。
事前に商店街に報告がいってなかったという噂は、松本哉さんによればデマらしい。ただ実際、何が問題だったのか、自分の目で確かめたわけではないので、知らないうちにご迷惑をおかけしていたならごめんなさいと謝るしかありません。
うちの社員たちも、日曜日で店忙しい!っちゅーのにみんな抜け出してきて、この高円寺のデモに参加しました。その後、ツイッター上で「デモは迷惑行為!」とお叱りを受けたそうです。やはり、当事者の声というわけではない。できれば「被害者」の声をうかがいたい。
ネット上の批判もざっと目を通す限り、とにかく素人の乱、気にくわないという感じ。
「公正」にやれとか。意見が対立した時に、「まあまあ」と間に入って、それぞれの言い分をきくのが「公正」な立場ってやつでしょう?何かを訴えている立場からすりゃ公正も何もない。
ただ、まあ日本って世界的にも珍しいデモ離れの進んだ国で、やるほうも見るほうも不慣れな感じはします。「目的が不明確」という生真面目な批判も、ウブっちゃウブです。私なんか同じあほなら踊らにゃ損損と思っちゃいますが。
下のドイツのレポートなど読みますと、デモがもっと広く市民の生活に溶け込んでいる様子がわかります。
(井野)
ドイツのビールとソーセージそしてデモ!
さんざんお世話になっといて、今さら手のひらかえしたようにポイ?という声もあります。でも私としては、お疲れ様でした~!色々引き継ぎもあるでしょうが、どうかお休み下さいと申し上げたい気持ちです。原発さんに。
自分で後始末ができなくて、何万年も人に面倒かけたり(管理が必要)、どうも原発さんにはお気の毒な面が多々ありますが、国策ということで私たちも黙って従ってしまったところがあります。
でも、今、フツーに市民が原発さんに「ご苦労様」のメッセージを送るようになりました。
デモもそう。デモって、ドイツなんかでは、国民が国に訴え、国を動かす実にまっとうな手段の一つ。
日本ではいまだに過激派のイメージがつきまとい、やる方も見る方もぎこちなさが残るものの、先日私も参加してみて(高円寺に15000人!)、車道を音鳴らしながら堂々と歩けるのが爽快で、またその後のビールがたまらなく美味しくて、やみつきになりそうです。
(迫川)
原発の3つの条件
ー日本をベルク化しよう!
11.4.13
ルミネさんに提出する(先月の予定でしたが、今月中に延期いたしました)「ベルクの営業継続を求める請願書」には、東北からも多数の署名をいただきました。ですから、今回の震災はなおさら他人事ではなく、やりきれない気持ちです。
当店ベルクでも、ささやかながら東北のお酒フェアを企画したり、お客様からお預かりした義援金をお送りしたり、店の食材をなるべく救援物資にまわしたりしております。少しでもお役に立てればいいのですが。
原発のことも、心が痛みます。
まずは、地元の方たちの生活の見通しが1日でも早くたつこと、そして、事故の収束に向けて日夜全力で作業にあたっていらっしゃる方たちのご無事を願わずにはいられません。
それ以上のことは口にすべき時ではない、とも思いましたが、今原発のあり方について問わなければ、そのチャンスを逃してしまう気もして、私なりに思ったことを書かせていただきます。
私たちの生活も、ベルクという店も電気なしには成り立ちません。「原発のお陰だ!」といわれればその通りで、足を向けて寝られない気もいたします。
ただ、原発には今回の事故も含め、複雑な思いを抱かざるを得えないのも事実です。その存在にどこかゴーマンさを感じるのは、今の文明が永遠に続くという前提でつくられているからかも知れません。もし、この文明が滅び、人類が新たに別の文明を築いたとしても(何万年という単位で考えれば、十分ありうることです)、原発の後始末だけは消えずに残る可能性が高い。私たちは、どうやら核廃棄物の管理を子孫に一方的に(承諾もなしに)押し付けるかたちで原発をつくってしまったようなのです。
原点に戻って、原発設置の条件を…今後、事故を絶対起こさないという言葉をぐっとこらえて、せめてこれだけはというのをあげるとすれば、次の3つになるでしょう。
まず、1つめ。核廃棄物の処理問題を解決する。
後世に面倒をかけないようにするためには、原発から廃棄物が出た時点で、その状態を安定化させる必要があります。今の科学ではまだ不可能ですが。
原発推進の根拠の一つに、「科学は進歩する」という科学信仰があります。でしたら、十分進歩するまで待つより他なかった。これという確証もなく、いつか解決するという淡い期待のみで原発は見切り発車してしまったフシがあります。原発という科学技術は、いまだ未完成なままなのです(再処理施設も、かなり自転車操業っぽい)。
また、科学って、誰にも「応用可能」なのが魅力なのに、原子力産業は「核」が取り扱い次第で国レベル、いや人類レベルで脅威になるため、情報の共有どころか秘密主義がはびこり、一部の企業が技術を独占しています。ちっとも「科学的」ではありません。
また、ゴミを自然に還元するという「エコ」本来の目的からすれば、原発はエコでもありません。世間をたちまち「エコ」=「二酸化炭素を出さない」(=「原発」)一色に染めたここ最近の原子力産業のイメージ戦略(メディアへの影響力)は目を見張るものがありますが。ちなみに、二酸化炭素が増えるから気温が上昇するのか、気温が上昇するから二酸化炭素が増えるのか、その因果関係はまだはっきりしていません。
次に、2つめ。現場の叩き上げの技術者のみが最高責任者になる。つまり、(ベルクのような?)現場主義。
今の東電の対応を見ていますと、どこかの駅ビルを連想せずにはいられません。例えば、某ルミネ館内の通路でボヤ騒ぎがあった時、電話で問い合わせしましたら、そのお返事は「下請けの管理会社にまかせている」の一言でした。また店の天井内のクーラーを10年以上ぶりに交換しようとしたら、施設課のベテランが突然おやめになったとのことで、適切な助言をできる方が一人もいませんでした。(原発の)メーカーに勤務されていた大前研一氏によれば、電力会社はふだん下請けやメーカーを顎で使い、しかも使い回し感覚なので、いざという時、全体を把握できる人、責任をとれる人が誰もいない。そういう下請けまかせの企業体質は、臨機応変さに欠けるのです。特に、「核」のような危険物を扱う場合、それは深刻な事態を招きます。
何事においても、第三者的視点、客観的データは必要ですし、現場主義がオールマイティーというわけじゃありませんが、最後にモノをいうのは、やはり図面やマニュアルよりも現場感覚(熟練者の経験とカン)だと私は思います。すなわち、現場主義です。原発にもたくさんのベテラン作業員がおられるでしょうが、彼らに最終決定権はありません。また炉内で働くリスクがあまりにも高いため(短期間でも内部被爆の危険性あり)、責任者はどうしても遠隔操作で人を使い回しせざるを得ない面があります。
最後に、3つめ。地方に原発を巨額のお金で誘致しない。
まさに、「東京に原発を」です。
確かに、「便利な(都市)生活にリスクはつきもの」かも知れません。原発ともなると、そのリスクは計り知れないものがありますが(何しろ、そこから発生する放射能は自然界にないものなので環境にどう影響するか不明な点が多い)、それ自体はりっぱな考え方です。しかし、便利な生活とリスク(原発)をてんびんにかける権利だって私たちにはあるはずです。足元を見るかのように(交付金や補助金という名目で)お金が積み上げられ、地方の自治体が原発の立地に同意してしまうと、財政は当面潤うでしょうが、その土地に原発がリスクとセットでやってくることになります。お金の強制力はすさまじいものがあります。本来、かけがえのない農地や海まで売ることになるのです。そして、都市の人たちは便利な生活を当たり前のように手にし、原発の存在を忘れることができます。そうやって、いつの間にか原発はつくられてきました。つまり、誰も自らリスク覚悟で原発&便利な生活を選んでいないのです。それはやはりまずいのではないか。
どれも、今さらいっても遅いことばかりかも知れません。しかし、原点から問い直すことは、これから先のことを考える上で大きなヒントになります。
私自身の希望を申し上げれば、「安全」であろうとなかろうと、「エコ」であろうとなかろうと、先の3つの条件がクリアされるまでは原子力政策をいったん白紙に戻していただきたい。そして、原発をいったん全面停止の方向でご検討願いたい(安全基準を満たしていない原発は真っ先に!)。ついでに、自然エネルギーの研究や開発費のほうに私たちの税金をまわしていただきたい。
推進側には、ここまでやってきて今さら引き返すなんて、とんでもないという思いがおありでしょう。実際、原子力のような巨大産業をいきなり白紙に戻すのは、相当の決断力と覚悟がいると思います。
でもそうでもしない限り、なかなか次の展望が見えません。どうか勇気をもって、根本的なご再考をお願いしたい。
ただでさえ資源のない日本。原発まで失ったら国際社会(競争)から取り残されるという懸念も根強くあるようです。ただ、無責任な言い方かも知れませんが、競争から降りたっていいじゃないですか。この際、「成長し続ける経済」という脅迫観念をふりほどいてみては。どの道、利潤増殖型経済は世界的に行き詰まりつつあります。企業優先の「新自由主義」も、格差を生んだだけです。日本の羨む中国の躍進も、終息は時間の問題です。アメリカは、最後の起爆剤として戦争(軍事産業の活性化)を起こしたがっています。そうした悪あがきに巻き込まれないためにも、日本はゼロ成長の助け合い経済で、そう、ベルクのように愉快に独自路線でまいりませんか?
原発がなくてもどうにかしましょう。
ベルクというコスト的にもスペース的にもめちゃくちゃ制約のある店で、毎日楽しいひとときを過ごさせていただいているせいか、どうも日本自体、創意工夫さえあればどうにかなる気がするのです。
楽天的すぎるかも知れませんが、もし、参考にしていただければ幸いです。
(井野)
四月 町を歩けばデモ
11,4,24
店の「政治色」について
2002年2月、作家の池澤夏樹さんと写真家の本橋
成一さんが、ベルク店内で「イラクの小さな橋を渡っ
て」という写真展をされて、展示の一環として店の
看板の上に「戦争反対」の文字を飾ったのですが
(ちょっとした話題にもなりました)、クレームは1件
もなかった。ただビル(当時MY CITY)から、しまっ
て下さいという命令じゃないな、要望はありました。
聞くだけ聞きました(しまいませんでした)けど。
反対とか賛成ということじゃなく、そういう発言自体
が政治色を持ち、好ましくないという理由だったと
思います。
今回、原発の是非に関して、ベルクでは(社員会議
を開いて)「脱原発」を公式見解にしようということで、
オリジナルPOPやバッジを作りました。
バッジの売れ行きがすごくてビックリしています!
ありがとうございます。
やはり直接的なクレームはありませんが、ネット上で
は、ベルクのこういう「政治色」が好ましくないという
ご意見もあるようです。
それを売りにするつもりではないんですけどね…。
ただ、歌や映画だって、時に商業的な思惑を超えて
メッセージを持たざるを得ないことがあるように、店に
だって、ここはひとつ何か発言しておかねばという
場面があるものです。
もちろん、デリケートな問題であることは(方法論の
難しさを含めて)心得ているつもりです。
まあ、ベルクはちょっと特殊な店だからと「大目」に
見られているところもありますけど(苦笑)。
ただもし、飲食店に「政治色はふさわしくない」という
考え方が一般的で、お店自体が自主規制している
としたら、それこそちょっとヤバい
「政治的」空気なのでは?
(井野)
新作ベルクバッジ♪"NO NUKES" シリーズ登場です!
ベルク通信2002年2月号「イラクの小さな橋を渡って」
ルミネ谷社長、一緒に原点に戻りましょう!
ルミネの谷社長から、またもや「警告書」めいたものをいただきました。タイトルは「通知書」といくぶんやわらかくなりましたけど‥。
内容は、当社はベルクの営業を認めていない、ただ営業している以上、ルールを守れというものです。
新ルールとされる「罰金の大幅値上げ」や「全面禁煙」については、前にも書きましたように、まだ私ども同意しておりませんし、そう簡単に「はいそうですか」と同意できるものでもありません。
特に罰金の徴収は、それ自体が国にのみ認められた権限で違法行為です。また全面禁煙も、近くに喫煙所を設置するといった配慮なしに、ただ喫煙者を排除しろというのでは納得まいりません。
一つだけ、私どもが非を認めざるを得ないのは、リースラインに関するご指摘です。確かに、震災直後、救援物資を店の外に一時的に置かせていただきました。ふつうテナントの賃貸契約では、いかなる理由であれ店(リースライン)の外に物を出してはならないことになっています。もちろん、飲食店がイーゼルや椅子を店先に置くのはどこでも(ルミネ館内でも)見慣れた光景です。通行の邪魔にならず、消防法などにひっかかりさえしなければ、あとは家主さんの裁量にゆだねられるのです。ということは、たとえ1ミリでも物がリースラインからはみ出していて、家主さんがそれを「契約違反」とおっしゃれば、その通り(法的に正当)ですので、直ちに片付けさせていただきました。
この中で一番フに落ちないのは、「営業を認めない」というくだりです。法的に営業権が認められている店に理由もなくそうおっしゃるのは、やはり不当以外の何ものでもありません。
こうした問題を私どもがベルク通信やホームページでご報告するのは、何も社会に向けて「告発」してやる!とか大それた意図があるからではありません。あくまでもお客様に向けて、情報公開の原則を貫いているだけです。
先日、お客様の応援ブログ「ラブ!ベルク!」のオフ会に参加させていただきました。お客様からいっせいに沸き起こったのは、「(ベルクの)存続問題について、いくらルミネさんに問い合わせても、当事者同士の(契約)問題だと突っぱねられる、私たちは当事者ではないのか?」というお怒りの声でした。まったく、ごもっともです。私ども(ルミネさんもベルクも)、お客様あっての商売です。当事者でないどころか、お客様こそ主役。お客様がお尋ねになるのは当然の権利ですし、ルミネさんはそれにお答えする義務があるはずです。
今、東京電力が「秘密主義」とか「独善主義」という言葉でたたかれていますね。電力は私たちの生活に大きくかかわるものです。今まで、原発に少しでもマイナスなことをいえば「反原発」のレッテルが貼られ、少しでもプラスなことをいえば「原発推進」のレッテルが貼られました。しかし、それ以前に問題なのは、電力のあり方について、私たち消費者が自分で選択することも出来ず、自分で考え議論する材料(情報)も決定的に不足していたことです。情報をオープンにせず(メディアから流れてくるのは、いつも原発に都合のいいことばかり)原発を国策として進めるのは、国民に「何も考えるな」「黙って従え」というようなものです。電力会社は、その「国策」にあぐらをかいていたように思えます(メディアの大部分もそうですが)。
ルミネさんという会社の方針は「国策」ではないものの、営業権のある店の営業を認めなかったり、お客様のご質問に一切お答えしなかったりするのは、やはりルミネさんが単なる一企業ではなく、まさに国家‥しかも独裁‥に近いからかも知れません(だからヘーキで罰金がとれるのか!後ろ盾となるJRも東電並みにメディアへの睨みがきくし‥)。ただ、ご自分たち以外でルミネさんが国家だと思う人は誰もいないでしょう。たとえ国家だとしても、このような「独善主義」「秘密主義」はもう黙って見過ごされないと思います。
ところで、最近首をひねるのが、ベルクの奥(元水着売り場)に新設されたトイレのオープン時間(朝7時~夜9時)です。以前は、その真下にトイレがございました。当然ですが、オープン時間は館内の営業時間に合わせられていました。そのトイレはルミネさんにより数年前に廃炉じゃない、廃トイレにされました。この度JRさんが新しく作って下さったトイレは(それ自体はありがたいことです!)、クローズが夜9時(館内は夜11時まで)と中途半端なのです。連日、お客様からの苦情が相次いでおります。管理するルミネさんに問い合わせても、苦し紛れに「JRの言いつけだから」でおしまい。警備員も時計を見ながら、1秒でも遅れたり早まったりすることは許されない!と9時ジャストに鍵を閉めにきます。ロボットじゃないですよ、人間ですたぶん。そりゃ、ルミネさんにとってJRさんは親会社でしょう。どんな理不尽な命令にも「黙って従え」なのがJRグループの企業体質なのかも知れません。しかし、それをテナントやお客様にまで押しつけるのはどう考えてもおかしい。
ルミネさん、今こそ「お客様のため」という原点に戻りませんか。おかしいことはおかしいといいましょう!理不尽な要求に黙って従うことありません!
ベルク店長 井野朋也
迫川尚子、デモを撮る
11.4.27
Policemen
11.4.29
雨の日のデモ 5.7 渋谷
11.5.10
高円寺化する渋谷 SOUND DEMO
11.5.13
福島第2原発3号機事故
11.5.26
部屋を片付けてたら、
こんな資料が‥
1989年って‥
(迫川)
近所のつつじ 近所の魚屋
11.6.10
SHINJUKU DEMO
11.6.18
※新宿デモ2万人。
当日のベルク来客数2千人。
(井野)
51年目のスイッチ...6月11日・新宿反原発デモに参加して...呼びかけ人・高山俊吉
ベルクなう←これ言いたかったぁ~(山下陽光on Twitter)
新宿アルタ前
11.6.23
私たちにできること
ルミネの花崎会長によれば、ルミネの使っている
電気って、東電(原発)のじゃないんですって。
個人宅と違い、企業は電気のメーカーが選べる。
いいなぁ。
ルミネは新日鉄から買ってるそうです。
ちなみにJRは自家発電。
さすが!
では、なぜルミネやJRが計画停電の影響を受け
たかというと、JRは信号機が東電の電気だから。
おしい!
ルミネは送電を東電に握られているから。
花崎さん、悔しがってました。
でも企業は15%節電!みたいな空気があって、
法的強制力はないんでしょうが、無視すれば世間
の風あたりが強い。
うちは企業じゃないのに、ルミネの一員ということで
(認めて下さるの?)今月から照明を暗くさせられま
した。ルミネの絶対命令ですって。
はい。協力はしますよ。
夏は電気の熱がへる分涼しいですし。
ただ、なんかふに落ちない。
そうだ。花崎会長!
この際、ルミネも脱原発宣言しましょう!
城南信用金庫を見習って。
ベルクもそうしてますが、うちは小さな個人店、いかに
もみたいなところもあります。
でも企業の、しかもJR系列のルミネが脱原発宣言し
たら、インパクトありまっせー。
アトレとは違うぜ!って?
あんな事故起こして、収束できていなくても、原発と縁
を切るなんて申し上げたら、恩知らず!裏切り者!み
たいなお叱りをいただくでしょう。
でも大事なのは、ひるまない真摯な態度。
何しろルミネは「当社は原発の電気を使用しておりませ
ん」と堂々といえるんです。結果的にだとしても、説得力
があります。
さて、ベルクは開店20周年で昨年は半年くらいお祭り気
分でした。
そうしたら、もう来月が21周年です。
ありがとうございます。
ただ震災をはさんでいるので、こうして店を続けているのが
夢のようでもあります。
震災直後、ビルが何日も閉鎖され、家で悶々と過ごして、
やっと店がオープンできるという日、あのお客様も私たちも
「待ってました!」という感じ、あれは一生忘れられせん。
そう思うと、なおさら、復興のメドが立たない東北に胸が痛
みます。
私たちにできることは何か、と問いながら店を続けるしかな
いと思っています。
何とぞよろしくお願い申し上げます。
(迫川)
↑新宿アルタ前(クリック)
銀座デモ 2011.8.6
1988 田島征三フリー・ペインティング 上野 水上音楽堂
10.2.27
1987年に出た広瀬隆さんの『危険な話』をきっかけに、反原発運動が全国的に盛り上がり、私たちもちょっとですがかかわりました。
単に「放射能は恐い!」ではなく、原発や核爆弾から発生する(要するに、自然界のものではない)放射能は、私たち生き物の身体がまるで無防備であるため、特に細胞分裂の活発な赤ちゃんや若者が最も影響を受けやすく、白血病や癌の原因になること、しかもそんな危険なものが無味無臭であること、また核技術はその危険性ゆえ、一部の権力者やメーカーに独占され、秘密主義をはびこらせること(ちっとも民主的ではない)、危険にモロにさらされる地元住民の人間関係は、絶え間ない不安と推進側のばらまくお金によってズタズタに分断されること、などが少しずつ見えてきました。
もちろん、私たちは原発推進に「待った」をかけたのですが、そうした問題をまず多くの人たちと共有したかったのです。
一時期(ベルクをやる前ですが)、積極的に集会の企画に参加したり、ビラ作りしたりしましたね。
迫川は、原子力計画の研究者でありながら反(脱)原発に転じた科学者の高木仁三郎さんにインタビューに行って、「私にしか答えられない質問をして」とピシャリとやられ、震え上がったそうです(本を読む限り、優しそうな方だっただけに、なおさら?)。ただそのセリフ、迫川は最近、店のスタッフにそのまま使っていますが…(こわっ)。
私も、画家の田島征三さんに、ステージ上でロックバンドの演奏に合わせ、大きなキャンバスに絵を描いてもらうようお願いしたところ、突然怒鳴られました。こわかったですよ。確かに、「反原発」の一言で征三さんはすぐのる、と安易に考えていたところがあります。そうしたら、「こっちは命がけで描いているんだぞ!」と。
今思えば、その時の田島さんが48歳。ちょうど今の私と同じくらい(ちょっと若い)です。私たちは20代でした。いやー、今のバイトスタッフから見たら、私たちも恐い存在なのでしょうか。
でも、結局、田島さんはその話を引き受けて下さいました。それからの長~いお付き合いです、田島さんとは。ベルクの椅子とテーブルは息子の燃さんの作品ですし。
それにしても、原発は今、CO2を出さないから「エコ」とかいってまた正当化されようとしていますが(温暖化とCO2の因果関係すらまだよくわかっていない)、そんな単純な話でいいのでしょうか?
(井野)
CO2は諸悪の根源なのか?ベルク通信2007年3月号
ちょうど原発問題に関心を持ち始め、貸しビデオ屋でメルトダウンの恐怖を描いた映画『チャイナ・シンドローム』(ジェーン・フォンダ、ジャック・レモン主演)を借りて見た直後に爆発したんですね。チェルノブイリ原発が。1986年の4月。声になりませんでした(この映画の公開直後、1979年3月にはスリーマイル島の事故が起きています)。よく、便利な生活にリスクはつきものと言われますが、その通りなんだけれど、そのリスクの大きさ(取り返しのつかなさ)を考える必要もあるんじゃないでしょうか。
田島征三さんのなつかしい写真が出てきました~。1988年。まさに、私が写真に目覚めた年。征三さんが描いている横で、3人の白衣の女の子が待機してるでしょ。これ、決まりだったんです。女の子(美大系の)3人、絵の助手をつけるのが。実は、私も1日だけやらせていただいたことあります。この日ではないんですが、征三さんは小室等さんとお二人で「はたけうたコンサート」というのを当時全国ツアーでされてまして、やっぱりステージで歌に合わせて絵を描いてらっしゃったんですね。そちらにどう?とお声がかかりまして。助手たちが征三さんの指示に従って泥絵の具で色をつくっていくんです。打ち合わせなし、助手どうしも初対面で、いきなり始まって。私はこっち系の色担当とか、もうその場で決めて。あがってる暇もないくらい必死でした。面白かった~。店長が、チャック・ベリーのバックをつとめたEストリート・バンドみたいと言ってますが、ベリーのコンサートもぶっつけ本番で、直前に会場に着いたベリーにスプリングスティーンが曲順を尋ねたら、一言「全曲、チャック・ベリーの曲」と答えたんですよね。でも、イントロが鳴れば、とりあえずどうにかなりそう?私たちの方が、インプロヴィゼイション(即興)性、高い?
チェルノブイリと言えば、本橋成一さんの『無限抱擁』が、ベルクの壁を使った写真展の第一回目でした。どうせやるなら、オリジナル・プリントで、と本橋さんの方からおっしゃっていただいて。注目集めましたね~。それから続々と著名な写真家が名のりをあげて下さいました。ところで、本橋さんの事務所に写真を取りにうかがった時、テレビの画像からただならぬ雰囲気が漂っていました。ニュースで地下鉄サリン事件を報じていたのです。1995年の3月でした。
(迫川)
(当時、私たちが集会向けに作成したビラより)
1988年10月23日、東京上野の水上音楽堂で「脱原発法」を呼びかけるイベントが開かれ、会場の内外におよそ3500人の人が集まった。
現地からの歯切れのよいアピールとあいまって、ランキン・タクシーや造反有理などの音楽勢が好演、われらSOSO(リード・ヴォーカル/生田卍、リード・ギター/愛染恭介)も下北につづいて30分近く熱のこもった演奏を展開し、集会のトリをつとめた。
またステージのかたわらには200号のキャンバスがたてかけられ、画家の田島征三さんが集会と同時進行の形でフリーペインティングをおこなった。イメージがさらに別のイメージを呼び起こすような、はじめのモチーフが跡形もなく消えてしまう絵の変貌ぶりに観衆は目を瞠った。
田島さんの参加もあって、10.23のイベントは、これまでの反原発運動自体のイメージをも塗り変えるものになった。人々が色々な形で、より自由な発想で運動にかかわる勇気のようなものを持てたのが最大の成果だろう。
田島征三……その名は知らずとも、『しばてん』『ふきまんぶく』『やぎのしずか』といった絵本で一度でもその絵を目にしたものなら、「あああの」と叫ばずにはいられない筈だ。そのなりふり構わぬノリのよさは、まるで絵のロックンロールである。
百姓一揆、東京大空襲、そしてフィリピンネグロス島の飢餓…。作品の内容は今日まで一貫して社会的なものが多い。勿論言うまでもなく、私たちがいつも感嘆させられるのは、そうした問題を扱っているからというより、田島さんがそうした問題に表現者として全身全霊をかけて取り組んでいるからだ。
田島さん自身が言われるように、どんなに切実としたテーマであっても、いやそういうテーマであるからこそ、それを無理やり図式化したり、作品の中だけで安易に解決してみせたりするのでは、かえって「ばかげています」し、せいぜいお茶を濁す程度のことにしかならない。
今回も、「脱原発」という現実的にきわめて緊迫したテーマとはりあうだけのパワーと表現力を持つアーティストとしてお願いしたわけだが、実際に田島さんの口から「やるからには命がけ」という言葉を耳にした時は、あらためて大変なことをお願いしてしまったと、正直身の縮まる思いもしたのである。
当日、描かれた作品は、89年3月東京都美術館で催される人人(ひとひと)展に出展される予定だ。
最後に、その田島さんが参加している人人展という画家の集まりについて、少し触れたい。人人とは、文字通り人を縦でなく横に並べるという意味で、中村正義、山下菊二、丸木位里、丸木俊といった錚々たるメンバーで形成されてきた。この人人展のミニコミ誌の扉にいつも書かれている文章が、田島さんたちのアートに対する姿勢を端的に語っていると思われるので、ここに紹介したい。
人を縦でなく横に並べて人人と称してきた。
権威にひれふし時代の証人であることを
放棄した人々を私たちは画家と呼ばない。
権力の保護で得た地位や富は作品に
なんの力もあたえはしない。
彼等のどんな言葉が
私たちの心を動かすというのか。
画家は苦悩し、傷つき、憤り、疑い、
矛盾を画面に定着してきた。
私たちは十四人の画家が触れている時代を
十四通りの思考と造形によって探って
ゆこうとする集団である。