soso of 写真とベルクのあいだで/写真家迫川尚子公式サイト

生田卍&SOSO

空が落ちてくる

11.4.21



生田卍から23年ぶりの仕事依頼。
私の弟で、ベルク通信編集長でもある愛染恭介は、彼のバンド、
SoSoのメンバー(ギタリスト)です。私もほんの一瞬ですが、キー
ボードで参加したことがあります。また迫川と私は、SoSoの会報
作ったり、彼らの演奏旅行にくっついて行ったり(福島まで。原発も
この目で確認しました)、ベルクを始める前はどちらが本職かわか
らないほどSoSoの活動に関わっていました。
で、今回、「空が落ちてくる」(通称ソラオチ)というこれも23年前の
彼の作品ですが、その音源に英語のテロップを付けて映像にして
ほしいと頼まれて。YOUTUBEにアップして世界中の人に見てもら
おうと。曲の内容については、下のコメントをご覧下さい。要するに、
原発の事故を歌った歌です。
23年ぶりに安請け合いしてしまい‥正直嬉しかったですが、途方に
くれ‥ネット上の爆発の写真とか使って‥というアドバイスも受けつ
つ、確かにそのほうがわかりやすいし、インパクトも出たでしょうが、
私なりに手持ちの駒で何とか作らせていただいた‥のがこの映像
です。よかったら、ご覧下さい。というか、ぜひお聞き下さい!



(井野)






生田卍 さま
愛染恭介 さま

最初、映像の材料がなかったので、アニメから作ってみました。下手くそですけどオリジナルです。晴れた空から雨粒がぱらぱら降ってくるイメージ。震災の日、新宿に向かって歩いている途中、こんな天候に一瞬なりました。
そこに、迫川の撮った高円寺デモ(15000人集まった)の写真‥主催者山下陽光さんも写っている‥と橋本弘道さん?の撮ったSoSoの写真‥一枚だけですが、とりあえず‥を重ねました。
ネットからひろった画像も少ないですが、散らばしてみました。よく見ると、福島原発も一瞬出ます。
まあ素人の映像なんで、こんな感じでお許し下さい!



井野朋也







Some twenty years ago I wrote this song.
It's a song about a gas station worker who runs away from the accident at a
nuclear power plant.
It's a fiction, or it was a fiction until we'd seen that explosion at the
Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant.
Some twenty years ago, with this song,
I toured around all the locations across Japan including Fukushima and
Rokkasho Village.
I will hit the road again with the same song, hoping all the nukes be shut
down.



Ikuta Manji






生田卍による「空が落ちてくる!」(キャロルキングでもなく友部正人でもなく)。
20年以上も前に作られた、原発事故を想定した曲があります。
まさか、この歌の内容が現実のものになろうとは!
今思えば、いやというほど演奏してきたこの曲は
現実にならない為の念仏のようなものだったのではないだろうか。
これからは違う思いで、この曲をやらねばならんのです。



SOSOギタリスト
ベルク通信編集長
愛染恭介






'The sky is falling down!'is a kinda nuclear disaster
simulation song and was composed by Manji more than
twenty years ago.
Who could imagine the nightmare in the song coming true ?
Now I suppose this song , which we have played hundreds of
times, might have been a magical spell to keep the
disaster from happening.
From_now on, we must put a new and strong wish into it.


Aizome Kyosuke




音楽 by SoSo
写真 by 迫川尚子
映像 by 井野朋也

S0S0;IKUTA MANJI (vo/a.g) AIZOME KYOSUKE (vo/e.g)
WITH;TAMURA NAOYA (bass/SE/organ) ICHIKAWA YOSHIHISA(drums) NAKAUCHI KEI(piano)

ENGINEERED BY NARUMI NORIKAZU
TRANSLATED BY IKEUCHI HISAO AND PATRICIA OE DALY
PICTURED BY INO TOMOYA AND SAKOKAWA NAOKO




フィリピンのジェス・サンチャゴさんから生田卍に、映像の感想が寄せられた。
どうやら気に入っていただけたようだ。むちゃ光栄!!

my dear brother,

congratulations!!!! am proud and happy for you all.

special greetings to kyosuke's brother. he did a really good job.

carry on!


koyang






ジェス・サンチャゴの歌声









元祖社会派ロックバンド
SOSO vs. 迫川尚子
PHOTO SESSION 東中野編

9.2.7



昔の写真を整理していたら、
こんなものも出てきました。
生田卍&SOSOという
(人呼んで、元祖社会派)
ロックバンドの
プロモーション用の写真を
撮ったことがあるんですね。
ここに写っているメンバーで、
現在残っているのは、
リーダーの生田卍と、
ギタリストの愛染恭介
(ベルクの社員スタッフ。
ベルク通信編集長でもある)だけですが、
東金屋さんとベルクを引き合わせた
ドラマー村口ダンナの姿もあり、
なつかしいったらないです。
ベルク店長の井野朋也も、
一瞬、SOSOにキーボードで
参加したことがあるんですよ。
このフォト・セッションも、
店長の企画によるもので、
東中野のポレポレ坐でおこなわれました。
それにしても、
みんな若い!


バックで流れるのは、
SOSOの最新アルバム
「まつろわず」から、
「きらきらと~カビータに」。
「口減らし」のために売られ、
エイズ感染者になって、
二度と故郷に戻れなかった少女、
カビータに捧げられた歌です。
完成直前、少女の名前がネパール語で
「歌」を意味することがわかったそうです。
http://www.sosoband.com/




(迫川)









元祖社会派ロックバンド
SOSO vs. 迫川尚子
PHOTO SESSION 大久保編

9.2.9



SOSOの写真、
まだありました!
東中野編は、
ライティングもして
バッチリ撮りましたが、
こちらは大久保駅周辺を
ぶらぶらしながらの
スナップ写真です。
「日計り」は新宿の写真集でした。
最初、新宿の一つ手前の駅という
印象しかなかった
大久保から撮り始めたのです。
それをSOSOのメンバーと
なぞるように歩きました。

バックで流れるのは、
SOSOの最新アルバム
「まつろわず」から、
「Dying Silent」。
名曲でしょう?
ちょうどいいところで
切れてしまいます。
続きをお聞きになりたければ、
是非!CDをお買い求め下さい。
http://www.sosoband.com/listen.html#11








SOSO vs. 迫川尚子
1988 PHOTO SESSION
1&2

9.4.2

ベルクを始める前…
ということは、20年以上
も前か…
ロックバンド、SOSO
と迫川尚子による
フォト・セッションの
様子が映像に
残っていました。
メンバーひとりひとりを
迫川が写真学校の先生、
入江進さんを助手(!)につけ
ストロボで撮っていきます。
映像1では、
ギターのさかいショーちゃん、
ドラムの村口ダンナ、
映像2では、
ギター、愛染恭介、
17歳の彼(ごめん、名前がでてこない)、
バンマス、リードヴォーカルの生田卍、
ベースのコバッキー
…の順で。
後に、
村口ダンナはベルクと東金屋の
キューピットとなり、
生田卍はベルク開店当初、
コーヒーの
コメンテイターでした。
愛染恭介は
ベルク幹部社員に。
ベルク通信編集長でもあります。
迫川はベルク副店長。
このセッションを企画した
私、店長、井野朋也も
ここではタイムキーパーを
つとめています。
といっても、一人で
ひたすらバーボンを
あおっていますが。
ベルクをやるという
話をしたときに
生田卍に
本気で心配されたのを
思い出しました。
その店は、お酒をだすの?
じゃあともちゃんが
全部…飲んじゃう…




(井野)



撮影 by 村口'DANGNA'暁則(SOSO元ドラマー、ベルク元社員)








1988
中野ちゃんぷる亭
横笛太郎さん

9.4.2




東中野ポレポレ坐で
生田卍&SOSOと
迫川尚子による
フォトセッションがあり
バンドメンバーと
入江先生、迫川、私の
計8名が打ち上げで
中野に流れました。
中華「福建」を覗いたら
(ここもなくなった)
入れなくて
いよいよ伝説の
横笛太郎のお店、
…小さいカウンターだけの
本場顔負けの…
沖縄料理、
「ちゃんぷる亭」に
のりこみます
他のお客さんを追い出して!
最後のほうで
横笛さんの戦友
(手のひら劇場のピアノ担当)
中島先生の姿も。
中島先生は横笛さん
なきあとも
手のひら劇場をつづけながら、
早稲田で「沖縄食堂」を
切り盛りしています。
今でも「ちゃんぷる亭」の
雰囲気を色濃く
残すお店です。
最初、私が
オープン間もない
「ちゃんぷる亭」の
客になったのは、
早大の学生の頃でした。
二回目に飲みに
いった日に
横笛さんが、私の
学生証を出してくれて
前回忘れて帰った
ことに気づいたのです。
それ以来、
お邪魔する度に
横笛さんに
そのことを
話のネタにされました。
迫川がベルク通信に
「私の師匠」
と題して、
「ちゃんぷる亭」と
横笛さんのことを
書いています。
http://www.berg.jp/tsu-shin/bergt176.htm





ベルク店長






撮影 by 村口'DANGNA'暁則(SOSO元ドラマー、ベルク元社員)