98年1月、新宿の西と東を代表して、某TV局ゴールデン・タイムの番組で、段ボール村とベルクが、それぞれ紹介される予定でした。
こちらはその放映直前にお蔵入りになった映像の一部です。
ゴールデンタイムを飾るには地味すぎたのでしょうか。
しかし、今見ると非常に貴重な映像であるのがおわかりいただけると思います。
取材班が悔しがって局に内緒でこっそりくれたのです。
11年も前ですからもう時効でしょう。
公開いたします。

96年、行政による新宿駅一帯の段ボールハウス強制撤去以後、新宿のエアポケットのひとつであった西口インフォメーション前広場に段ボールハウスが集結。コミュニティらしきものが形成され、「段ボール村」で郵便も届きました。
この番組の放映予定であった98年1月の翌月、98.2.7の火事で段ボール村は消滅します。
朝、ベルクに向かう途中、西口の改札が真っ白ですぐ副店長(迫川)に電話したのを覚えています。
迫川は、2年間ほぼ毎日、段ボール村に通っていました。

(井野)


MUSIC by 井野朋也


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路上写真展

9.4.5



段ボール村を取材し、
段ボール村で知り合った
写真家たちによる路上写真展。
迫川も参加。
ガードマンに注意される度に
場所を移動し、
最終地点が、
当時、映画の看板が並んでいた
ベルク真上の広場でした。
ここなら誰にも文句いわれない、と
あるホームレスが耳うちして
くれたのです。
長時間展示しましたが、
最後までお咎めなし。
おまわりさんも前を素通り
していきました。



(井野)




MUSIC by 井野朋也

















新宿西口段ボール村

9.4.5




新宿ダンボール絵画研究 20101207_1613368.jpg














Morning BERG

9.4.6




ベルクの様子は
今と殆ど変わり
ありませんが、
よく見ると、
パンが違う、
店名ロゴが違う、
椅子・テーブルが違う
(燃さんの作品ではない)、
食器が違う、
メニューも違う、
バンダナの巻き方が違う、
ユニフォームが違う。
消費税が5円単位で
切捨てだった、
コーヒー職人の久野さんが
直々に配達していた、
とやはり
いくつも違いが
みつかります。
なつかしい常連さんの顔。
自分たちの顔も違う。
ビルの名前も違う。



(井野)













カラスおじさんとベルク

9.4.6




















ベルク店長、新宿について語る。

9.4.7




ひっきりなしの
お客様をレジでさばき、
息切れ切れ
試合直後の力士同然の
状態で
突然、ライトを
あてられ
しかも、新宿について
一言、
とTVディレクターの
答えようのない
質問に
しどろもどろの
ベルク店長。
背後には
スズキコージ画伯
によるベルク、
エスプレッソの
ポスターが。





MUSIC by 井野朋也

















Morning BERG
サイレント編

9.4.8






武盾一郎さんより
「ビデオを引用させて頂いてます。」
WHO CARES? ソーシャルアートの可能性 Vol.9 - 2/2








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nyari-B11 a548.JPG炊き出し
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新宿ダンボール村.jpg

段ボール村とは

1
都は、都庁周辺の路上生活者(都庁建築に携わり、使い捨てにされた労働者が多い)を「動く歩道」の設置を名目に強制排除。その日(96.1.24)、新宿駅西口改札前広場に段ボール村が出現した。ふだんお互い積極的に関わりを持たず、ひっそり暮らす路上生活者が、その時ばかりは身を寄り添いあい、自分たちの存在をアピールした。

2
新宿西口改札前にあった段ボール村は、元々都庁周辺から追いやられた路上生活者たちの緊急非難場所だったが、結果的に火事で消滅するまで2年間(96.1~98.2)存続した。村であった証拠にポストがあり、郵便物が届いた。村自体が、彼らの存在を隠したい国や行政に対するアッパレな抵抗でもあった。

3
段ボール村に2年(誕生から消滅まで)通った迫川尚子。報道は絵になる写真(酒を与えて酔っぱらわせたり)や強制撤去のような「事件」しか撮らないが、迫川は彼らにお茶やお菓子をご馳走になりながら、猫と遊びながら彼らの生活を撮った。住人の一人に、自分が存在した証拠を残してほしいと頼まれた。

4
武盾一郎さんを始めとする若いアーティストたちが、段ボール村の家(段ボール)に絵を描いた。住人の許可を得ながら。住人との共同制作とも言えるし、両者の出会いが生んだアクシデントとも言える。アーティストたちも完成が目的ではなく、絵はどんどん変化した。携帯のない時代だから撮影した人が意外と少なく、迫川の写真が貴重な記録になった。

5
迫川尚子の段ボール村の記録は、部分的には雑誌等や自分の写真集「日計り」で使われたが、まとまった形ではまだ発表されていない。「写真は発表しなければ、撮ったことにはならない」。写真家福島菊次郎さんの言葉が胸に突き刺さる。今こそその時期ではないか、と私は思う。が‥もう少しお時間下さい。

(井野)

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空白の街 山谷


20年以上前、私が写真を習い始めた頃ですが、浅草の馬券売り場の前に座っているおじさんにカメラを向けたら、「俺みたいなのを撮りたければ、山谷へ行け」と言われました。
 知人に相談すると、「女性一人では絶対危険」と止められました。何がどう危険なのかよくわからず、やっぱり行かなくてはならない気がして、地図にもない、今だって漢字変換しない「山谷」のことを調べました。
 浅草からも歩いて行けるようですが、南千住の駅から泪橋を目指すことにしました。
 交差点を超えるともう空気が違います。アスファルトの色が変わります。路上に人が立ったり寝転がったりしています。私は日雇い労働者の住むドヤ(宿)街、山谷に遂に足をふみ入れたのです。
 でも結局、カメラをバッグから一度も取り出すことが出来ませんでした。その時の悔しさが、10年後、新宿西口改札前に出現した段ボール村の撮影のバネになっています。
 当時、日雇い労働者たちを管理していたのはヤクザです。山谷のドキュメンタリー映画として有名な『山谷(やま)─やられたらやりかえせ』は、監督が続けて2人殺されていますが、そのへんの事情が絡んでいます。
 元々、労働者の使い回し・使い捨ては建築現場等では当たり前でした。ただし、非合法におこなわれていた。考えてみれば、今の「派遣」はその合法化を意味します。暴力団対策法の制定なんて、ヤクザが危険だからというより、ヤクザはもう用済みという国の都合によるものでしょう?
 段ボール村は消滅し、新宿のホームレスは公園から追われて一日中歩いています。区によれば、ホームレスの数は減っている。ごまかさないで!って言いたい。
 「貧困」はむしろ深刻さを増しているのに、国は露骨に社会保障を少しでも切り詰めようとしています。
 かつて、私たちの生活は日雇い労働者の犠牲の上に成りっていました。それは山谷の街とともに空白とされていました。今、ある意味、日本中が山谷化されつつあります。
 高度経済成長は夢のまた夢。
 国には弱い者の立場にもっと立ってもらいたいですが、私たち自身、考え方、生き方の大転換を求められているのかも知れません。


2012.8
迫川尚子


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新宿ダンボール村を思い出す会

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