撮り続けるということ
迫川尚子
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私は写真家です。はい、自分から名のっちゃいました。名のったもの勝ちです。資格はいりませんから。それでご飯が食べれる訳でもないんですが(ベルクが生活の糧です!)。でも、私の場合お酒もそうですが、趣味というのとも違う。もっと使命感をもって飲んでます(笑)。私のライフワークです。写真も撮りまくってます。その大半は、埋もれていきます。時間の経過とともに貴重な記録として甦るものもあります。それがメディアに使われることもあります。下世話な話ですが、その時はそこそこお金になります。私から請求しませんよ。ただ、私がどうやら素人でなく写真家のようだからと相手が気を使って下さるんです。名のったもの勝ち、と思える瞬間です。ですが、カメラを持てば夢中に撮るだけです。歴史に残るとかお金になるとか考えません(むしろ出て行く一方です)。そういう下心があるとかえって続かないかも。続ければいいというものではありませんが、私は続けてよかったと思います。たまにオマケもつくし。人に喜ばれたり、多少お金が返ってきたり。近々、二冊めの写真集が出ます。タイトルは迫川尚子写真集「新宿ダンボール村」。20世紀末に新宿駅西口に出現したダンボール村の記録です。20年近く前に撮った写真です。この度、ご縁があって本になりました。これも思いがけないオマケですが、今、書店に並ぶことの意味を感じます。印税の一部をNPO法人自立生活サポートセンターもやいに寄付させて頂くことにしました。本の販売が支援につながれば、と思って。ガンガン売りたいので、買って下さい(笑)(もやいへのカンパもできれば)。代表の稲葉剛さんが解説を書いて下さっています。それだけで買う価値あり!です。ただ、私の写真は報道写真ではないので、決定的瞬間とかスキャンダルなものは期待しないで下さい。2年間毎日通って、少しずつ住人たちに存在を認められ、中までお邪魔して撮らせてもらった写真です。何か空気や気配を感じて頂けたら嬉しいです。「俺たちのことが忘れられないよう世に出してほしい」とおっちゃんたちに頼まれました。やっと約束が果たせます。
2013.3.1 |
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迫川尚子
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「新宿ダンボール村 迫川尚子写真集1996-1998」がいよいよ書店に並び始めました。来月、ベルクの壁は写真集発売を記念し、ダンボール村を思い出す会と題して、私の写真とホームレス画家の作品や当時のビラを飾ります。今から17年前、都庁周辺にすみついたホームレスたち(都庁建設に携わった人も多い)が強制排除され、西口広場へ逃れて生まれたのがダンボール村です。多い時で200人くらいの方が住んでいました。村の誕生から火災、消滅までの2年間、毎日そこに通い、写真を撮らせて頂きました。一つ書き留めておきたいことがあります。強制排除前から彼らを追っている写真家がいました。木暮茂夫さんです。木暮さんがいなかったら、もっと撮りづらい状況だったと思います。興味本位でカメラを向けるメディアにホームレスは警戒していました。木暮さんは写真家であり、支援者でもありました。村の住人たちと警察が小競り合いになると、その中に飛び込んでいきました。その時、「これ」と分厚い手帳を渡されました。大事な情報の納まった手帳を、女の私なら捕まらないだろうし、預けても安全と思ってくれのでしょう(事なきを得ましたが)。木暮さんを中心に村をテーマに撮る写真家が何人かいて、私もその一人でした。私たちは路上にダンボールを立てて合同写真展をやりました。ガードマンに注意されるたび移動して。募金箱には何十万というお金が集まりました。それを炊き出しのお米代にあてて。今、木暮さんは新潟でお米を作っています。ダンボール村がなくなった後、写真をきっぱりやめたんですね。ダンボール村の写真集を出すのは木暮さんだとずっと思っていました。私とはまたタイプの違う、シャープでかっこいい写真。結局、新宿に残った私が知らないうちに木暮さんの後を継いだのかもしれません。正直、私には荷が重いです。でも、今この写真集を出す意味は何なのか、自分なりに考えてみるつもりです。本の印税は全てNPO法人自立生活サポートセンターもやい(代表の稲葉剛さんが解説を書いて下さいました)に寄付させて頂きます。木暮さんならそうすると思って。
2013.4.25 |
戸塚泰雄
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新宿ベ ルク副店長・迫川尚子さんの写真集『新宿ダンボール村 1996・1998』のデザインを担当しました。なんと掲載する写真の順番決めまでも。歓喜すると同時に「写真をどう選べば…」と冷や汗も…。しかし写真 を手にとって眺めているうちに不安はすぐに払拭されました。与えられた役目に気がついたからです。「写真を選ばなければよいのだ」と。自分はきっとただた だ写真に耳を(目を?)傾けるだけでよい。一枚の写真を選ぶとおのずと次の写真が呼び寄せられるような感覚。「ほ~、そうきたか」などとまるで他人ごとの ように選ばれてゆく写真を眺めているうちに気づけば一冊の写真集が出来上がりました(というのは少し大げさですが、でも本当にそんな感じがする)。写真が 確定するまでは、無限の可能性の中にいました。まるで迫川さんの目を借りて、いろんな道順で何度もダンボール村を案内してもらったような。その道は勿論いま現在にも繋がっています。
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