1.二つの会場

―今回の「ETWAS」展は、コニカミノルタプラザ(以下、プラザ)、そして、ルミネエストB1にありますビア&カフェ「ベルク」(以下、ベルク)、どちらも新宿駅東口方面ですが、会場が二つに分かれています。プラザは10月2日から11日まで。ベルクは10月いっぱいということですが、その二つで一つの「ETWAS」展ということでよろしいですか?
迫川「はい」
―1部と2部、ということでしょうか?前編、後編みたいな。
迫川「プラザの審査が今年の3月でしたので、プラザ展は全部それまでの写真を飾ります。ベルク展は、それ以降、主にこの夏に撮ったものですね。審査が通った時点で展示は10月と決まりましたから、同時開催できるよう、ベルクの方は経営者の権力を発動致しました(笑)」
―ご自分たちのお店ですもんね。プラザ展は全てA3サイズ、ベルク展は全てA2サイズでいく予定だとか。
迫川「今回の『ETWAS』展は、全てデジカメを使っています。プラザ展は、リコーのCaplioGX8(小型)、ベルク展は、ニコンのD 40X。実は、昨年、私は療養のためほとんど寝たきりの生活を送り、薬の副作用で、小型での撮影がやっとでした。今年はすっかり元気になりまして、多少重いカメラでもバンバン撮っています。それが写真の大きさにも表われています」
―ご回復おめでとうございます。小型がA3(半切)、ニコンがA2(全紙)ということですね。大きさだけでなく、内容的にも変化はありましたか?
迫川「道具が変われば、表現も自ずと変わります。どちらがいい悪いではなくて。ただ、やっぱり私はライカが本道で、デジカメは予備という感じがいまだにありまして。その役割を充分に果たすのは、手軽な小型なんですね。それがだんだんデジカメ自体に傾きまして、今年の夏は小型の他に、D40Xも持ってみました」

2.デジタルと銀塩は別物

―手応えはありましたか?

迫川「小型のデジカメでしか撮れない写真ってあると思うんです。女の私でも片手でひょいと持てるし、撮っても消せるという気軽さがありますから。私は1枚も消しませんけれど」

―え?撮ったら、全部、保存するんですか?

迫川「1日200枚くらい平均して撮っています。1枚1枚が私にはかけがいのないもの、SDカードたまりまくりです。でも、すぐ画像が確かめられたり、いつでもどこでも持ち運べたりするのは、本当に小型デジカメの良さですよね。それがデジカメでも本格的なものになると、気軽さがなくなるだけに、いっそ銀塩に近づけないかと欲が出てしまいます。もちろん、別物なんですよ。何と言いますか、デジタルの方が、輪郭があらいんですね。こう言うと、逆じゃないかと思われそうですが。銀塩写真には、むしろ輪郭という概念がないんです。それだけ光と影の折り重なりが繊細なんです。デジカメは、輪郭を描こうとするせいか、一見クリアなんですが、かえって空気感という点で、あらくなる印象があります。そのあらさが、デジタルの面白みでもあるんですけれど。それに私は今、カラーにはまってますでしょう。ずーっとモノクロでやってきた反動か。そうすると、自分で現像できない銀塩カラーより、調整可能なデジタルの方が、表現の幅が広がります。何だかんだ言って、デジタルは便利なんですね(笑)」

―銀塩に未練あり、という感じですね。

迫川「ライカはライカで撮っていますよ。ご期待下さい。誤解なきよう、念を押しますが、デジタルが劣っているということではないんです。ただ、別物ですね。こう言ってよければ、デジタルでしか撮れない写真がプラザ展、デジタルだけれど銀塩ぽい雰囲気を出そうとしたのがベルク展です。まあ並べてみてから、そう思っただけですが」

3.足の向くまま

―今回も、テーマは街、ですか?
迫川「私、一つ申し上げておきたいのですが、いつも自分の作品を発表する時、ほら!どう!って気持ちなんです(笑)」
―得意げなんですね?
迫川「得意と言いますか、一方でとても自信がないんです。自分では、これしかない!という気持ちなんですが、人がどうとらえるか、よくわからない」
―迫川さんの作品には、いつもなつかしさのようなものを覚えます。
迫川「それがわからないんです。よくそう言われるんです。確かに、街と言っても、再開発でなくなっていくような場所に何となく呼ばれて、撮るんです。私自身は失われていくものへの郷愁がない訳ではないですけれど、果たしてそれが写真に表れているのか」
―表れているのではないですか?
迫川「写真を見る時、そういう気分がかえって邪魔をするような気もします。もっとダイレクトに見て、これ見て、と言いたくなる」
―タイトルの「ETWAS」は、ドイツ語で「何か」ですもんね。何か、とは、例えば、街にあったり、人物にあったり、自然の中にあったりするものなのですか?
迫川「そうですね。その何かが、写真になる瞬間を私は待っています。待っているだけでは何も始まりませんから、カメラを持ってとりあえず出掛けてみる。今の私は、職場を抜け出して、近所や、ちょっと足をのばして、横須賀でも川口でもいいんですが、てくてく日帰りで帰れる範囲で歩くしかないんです」
―近所と言うと、お店のある新宿駅周辺ですね。あとは電車にのって、方々に行かれるとのことですが、それはどこでもいいということですか。思いつきでどこかの駅に降りるとか。
迫川「そうです。足の向くまま。先日、浦山桐郎監督の『キューポラのある街』を何(十)年ぶりに見て、川口に衝動的に向かいました。現在、キューポラはほとんど残っていないと聞いていました。期待しないで行ったら、50年近く前の映画の面影がちらほらとあって。思わず、荒川の土手で「バカやろー!」と叫んで(嘘です)、風に吹かれ、橋を渡って、丸真政宗の蔵元を横目に、赤羽の『まるます屋』に直行して、政宗飲みながら、鯉のあらいに舌鼓を打つ。最高のコースでしたよ(笑)。創業50年の『まるます屋』さんは、行く度に勉強になります。早い、安い、うまい、気さくな接客、地元に根付いた商売。飲食の鑑ですね」
―写真に関係のないお話をありがとうございます(笑)迫川さんは、利き酒師であり、調理師であり、飲食店経営者でもある。そうしたことは、写真にも影響がありますか?
迫川「ない、ですね。私の意識の中では。店は商売としてやっています。写真は商売ではありません。ただ、趣味と言うには余りにも生活の中心を占めているので、お金にならないライフワークとでもしておきましょうか。お金になるに越したことはないですけれど」
―その分、制約もないのでは?
迫川「そうですね。撮りたいものを撮っている。考えてみれば、店でもやりたいことやらせてもらっています。制約ないじゃん(笑)。いえ、そんなことないです。お金と時間の制約があります。どちらも。その中で、あれやこれや工夫を凝らすのが嫌いではないですね」
―日帰りで帰れる範囲ですと、東京脱出も、難しいですもんね。
迫川「へたに地方に行っても、観光地と、そこまでの道路しかなかったりする。だったら、東京の方がうろうろさまよえるんです。何となく人がいる、あてもなくそこにいる、と言いますか、そういうところに自然と足は向きますね。えーっと、人がいなくても、人の気配がするところに」

4.単にフェチ?

―人そのもの、でなくても?
迫川「そうですね。人の気配がするところが好きです」
―再開発で、家などが解体されているところは、人がいなくても、気配が残っているのでしょうか。
迫川「残っています。かき消されようとしていますが、かろうじて残っています。だから、よけいに感じるものがあります」
―それは、郷愁とは、また違うのでしょうか。
迫川「郷愁なのかな。私には、もっとリアルな感じがあります。それは、でも、不意にあるんです。たまたま再開発の場所にもそれを感じることがあるだけで」
―何か、とは、つまり、人の気配ですか?
迫川「どうなんでしょう。そういう言葉が介在しにくいものかも知れません。例えば、この(写真を指して)洗濯物ですね。これ!これ!と言いたくなるんです」
―光がきれいですね。
迫川「ええ。洗濯物にはよくひかれますが、それもたまたまですね。人の気配と言ってしまうと、だから洗濯物なのか、って納得されてしまうでしょう?でも、私はこの洗濯物が干されている場所にもひかれますし、色々細部に目がいくんです。とにかくこの写真を見ていただきたいんです」
―「人の気配」というのは、迫川さんの作品のキーワードの一つにはなるのでしょう。ただ、どうやらそれだけではなさそうですね。もしかしたら、単に洗濯物フェチなのかも知れないし(笑)。
迫川「フェチというのは、ちょっとピンときますね。再開発でビルが解体されると、隣のビルの壁面があらわになるでしょう。私、壁面フェチでもあるんです(笑)。小津さんの映画に洗濯物が写し出されたら、もうたまりませんね」

5.映画は残酷

―小津安二郎監督。お好きなんですね。意外な感じもしますが。
迫川「そうですか?」
―古き良き日本、でしょう?ノスタルジックという意味では共通するでしょうが、あまり迫川さんの写真と結びつかない。
迫川「小津さんはノスタルジックではないです。そんなものにおさまらない。ちゃんと見てください(笑)。映像的には、溝口(健二)さんの方が最初、ピンときたんです。光の具合とか。小津さんは、映画としてまずひかれました。映画監督の吉田喜重さんが、映画は残酷だ、止まらないから、というようなことをおっしゃっています。写真や絵画は、一つの画面をそのままずっととどめておくことができます。映画は、どんどん過ぎ去っていきます。その残酷さに、作家として一番自覚的だったのは小津さんじゃないかな。私たちは、DVDで映画を静止して見ることもできます。邪道ですけれど。小津さんを止めるなんて、やっちゃいけないことですが、やったら、驚きます」
―迫川さんには、自宅療養中、DVDで映画の名場面ばかり撮った作品がありますね。作品と言っていいのかな。
迫川「ええ。リハビリを兼ねた。私なりの名場面集ですが」
―あれも、止めて撮っているんですか?
迫川「いえ、あれはリハビリですから、動いているのを撮っています。止めると逆に画質が落ちるんじゃないかな。動いている映像を見て、写真的と思った映画はもっとありました。でも、いざ止めると、そうでもないんですね。動いているからこそ、決まっている。小津さんの映画は動いていることに気づかないほど、よく動きます。ところが、止めてもすごい。いえ、止めたら止めたですごいということに気が付きました。画面の隅々まで、神経がはりめぐらされている。そこに、私は愛すら感じました」
―愛ですか。あたたかい気持ちになれる?
迫川「ヤカン一つ置いてあるだけで、胸がしめつけられます。その間も、映画は進行していくのですが」
―小津映画に、洗濯物はよく出てくるんですか?
迫川「必ずと言っていいほど。真似るつもりはありませんが、洗濯物を見かける度に小津さんのことを思い出します」

6.ウケ狙いしたくない

―映画の話になると、話が尽きませんね。でも確かに、映画と違って、写真はせっかく立ち止まって見ることができるんですから、思う存分見ていただきたいですね。
迫川「はい。そのことに私も自覚的でありたいんです。なんてカッコよすぎかな?映画は、一方的に画像が流れますから、何かしらドラマがないと、見る方も足場がなくて耐えられないと思うんです。写真はどこからどう見ても自由ですし、見せる側も無理につじつまを合わせる必要がない。と言っても、ねぇ。実際に、それはそれで勇気のいることなんですね。人に説明しにくいものって、なかなか受け入れられないでしょう。どうしてもサービス精神が働いて、テーマや見せ所をわかりやすく提示したくなります。それに沿うように、写真を選んで並べて。その方が一般ウケもするでしょう。でも、そうすればするほど、写真的ではなくなるような気がするんです」
―ウケを狙うか、写真をとるか。究極の選択…。そして、迫川尚子は、写真をとった?
迫川「そうありたいと思います。そして、たった一人でもいいから、この写真をご覧になって、何か感じて下さる方がいれば、やった甲斐があります」
―そこが、商売と違うところですね。お店の場合、お客様はたった一人という訳にいきませんもんね。
迫川「店も、究極的には同じです。一人でも、この味にご満足いただけたら、という世界です。ただ、店は待ち合わせ場所に使ったり、時間をつぶすだけでもお金を払っていただける。写真には、そういうシステムがないだけで(笑)。私も仙人ではありませんから(笑)。どこかでお金はいただかないと」
―作品は販売されるんですか?
迫川「A3が¥20000、A2が¥30000です。安いでしょう?ご奉仕価格です!(笑)。ご希望の方がもしいらっしゃれば、ぜひ


('07.10 「ETWAS」展用パンフ「言葉の介在しにくいもの」より)


お礼状

迫川尚子
撮影風景
『ETWAS』

9.1.21








「ETWAS]
撮影中のスナップ。
北鎌倉、
小津安二郎の墓参り
を起点に。







ここにはもう撮るべきものがないといって、突然インドに飛んだりする人がいますね どうぞいってらっしゃい どこへでも 貴方の自由です 撮るべきものがないというのも 率直な気持ちだと思います ただ、ここにはないが インドにはあるのかな?ここになければ そこにもないのでは?どこにいたって 撮る時は撮るし 撮らない時は撮らないんです 私 全く撮れなくなったことがありまして たまたま北鎌倉の駅に降りて小津安二郎のお墓参りをしました 一文字 「無」 とあるだけの 有名なお墓です 何となく観念的なイメージしか なかったんですが いざ前にすると 笑いが込み上げてきて 無でいいじゃん! といわれてる気がして また写真が撮れるようになりました

迫川





小津さんのお墓には 世界中の映画ファン映像作家が訪れます 不思議なエピソードがいっぱいあるそうです この日もお墓の上にフイルムのケースがお墓に置かれていました この話をすると 私が仕掛けたのだと言われますが そんな洒落たこと私しません 思いつきません とにかく写真から少し遠ざかっていた(いわゆるスランプ)迫川は小津さんからのメッセージとうけとりました 薄曇りの日でしたが お参りしたとたん日が射して 間違いなく招かれている気分でした 帰りに北鎌倉の駅の近くのスペイン料理店に入りました おすすめの赤ワインの名前がヴァンダ。私たちが夢中になっている映画のタイトルでした。監督のコスタは、小津の強い影響を受けているのです

私の小津安二郎ベスト3は「麦秋」「おはよう」「秋刀魚の味」と戦後ばかり。迫川の小津ベスト3は「生れてはみたけれど」「父ありき」「長屋紳士録」と敗戦直後から戦前に傾いている。どちらがどうという訳でもないが、確かに孤児やホームレスが主役になる戦前の小津映画が埋もれがちなのは勿体ない。

50ミリレンズしか使わなかった小津監督。迫川も試してみたら、途端に写真が下手になったと言われたそうだ。50は物撮り向き。確かに街のスナップなんかは35などの広角の方が雰囲気が出やすい。小津さんは、原節子の顔を歪めさせたくなかったのだろうと。でも、ローアングル。不思議な映像作家だ。

小津ファンの映像作家なら一度は50ミリレンズを使うのだろうか。迫川は「父ありき」で窓辺に子供が背を向けているシーンが忘れられないという。そんなシーンあった?カメラマンの厚田さんのインタビューを読んだら、監督は子供の涙を表現するため70ミリを使用したという。全生涯でそのシーンだけ。









50mm PHOTO SESSION '09.8.28


井野





















会場の様子 by 井野朋也







コニカミノルタ社長ご観覧 by 今香子







会場の様子 by 迫川尚子











3分で1周 by 迫川尚子









Close to ETWAS by 迫川尚子











打ち上げ シェ・オノにて by 迫川尚子













                         井野利也の詩「ETWAS」より



















ETWASの家

11.1.25


迫川尚子「エトワス」シリーズ(2006-7年)の
一枚になった家の写真の家に、ばったり
再会しました。4年ぶり。




映像&音楽 by 井野朋也







金丸ステッカー