ベルク本、その後 of Omake

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① 儲からないビジネス書?
(ベルク本が生まれた経緯)

 5年前に上梓した『新宿駅最後の小さなお店ベルク』は、爆発的にではありませんが、じわじわと売れ、今でもたまに重版されています。この本のお陰でベルクは全国的に少し有名になりました。世界一乗降客数の多い新宿駅の構内にある店ですので、昔から多くの方に存在は認識されていましたが、店名は知る人ぞ知る、だったのです。
 成功の要因は、編集者のアイデアですが、ビジネス書として売ったことでしょう。ビジネス=儲け話に人は飛びつきやすい。つまり売りやすい。ベルクの本というだけでは、せいぜい新宿界隈でご当地本として売れただけでしょう。
 最初は、私にビジネス書が書けるか?と悩みました。飲食業だって事業でやる以上、利益を出すための戦略を立てます。しかし、私たちにとって店は生活の場です。そこで人と会ったり、喜びを分かち合ったり、情報交換したりする。そのために飲食店としての質を高め、利益を出す必要はありますが、利益が目的という訳ではない。というように、私に書かせるとかなりまどろっこしくなりそうなのです。
 それでも執筆をお引き受けしたのは、20年近くやって社員も10人に増え、次の店が出せるくらいの資金も稼ぎました。今、個人商店は借金がないだけでもよしとされます。だったら、私たちの経験も多少どなたかのお役に立つかもしれない、と思ったからです。ちょうど、家主の駅ビルから立ち退きを迫られた時期でした。そのことを世間に訴えたい、店の歴史を残しておきたいという思惑もありました。
 編集者も、元々ベルクのお客様ですから、ビジネス書の体裁をとりながら、ベルクはいかにしてベルクになったか?という観点でまとめてくれました。儲け話を期待した方にはちょっと騙されたような、ガッカリする内容だったかもしれませんが、私は書いてよかったと思うのです。

② 飲食業は家族経営で

「規制緩和」によってあらゆる分野に企業が進出し、資本力のない個人商店には圧倒的不利な状況になりました。駅ビルのような一等地ではデベロッパーがテナントを自由に入れ換えられるため、結果がすぐ出て撤退も容易な企業系列店がどうしても優先されます。これだけ企業有利の世の中では「家業を継ぐ」という意識も薄まり、個人商店は消え行く一方です。
 ベルクは家族経営を母体とします。私は2代目。新宿駅構内という激戦区で今も何とか営業を続けています。しかし、ビジネスモデルにはならないでしょう。辛うじて運よく生き残っただけなので。
 ただ、あえて申し上げることがあるとすれば、飲食業はやはり家族経営の個人商店に向いているということです。ぶっちゃけ、飲食で金儲けは難しい。やればわかりますが、手間がかかるわりに実入りが少ないのです。
 勿論、大がかりな宣伝で名前を売り、工場生産という企業方式は飲食業でもある程度通用します。でも、食は腐るアートです。何もかもベルトコンベアで大量ストックという訳にはいかない。現場でどれだけ手をかけるかにかかっています。
 いわゆる「こだわり」ですね。味の追求はキリがありません。時間もお金もいくらでもかけられますが、健全なことではありません。趣味でやるぶんには後ろ指さされませんが、事業としてやればどこかにしわ寄せがいきブラックになります。
 私たちには絵や音楽、写真といったお金にならないライフワークがあって、店はお金を稼ぐための手段です。が、くどいようですが、決して割りのいい仕事ではない。自分たちの愛せる店でなければやってられません。
 幸い現場で何でも決められるし、助け合えます。社員の数は今や10名。とっくに血縁の枠を越えていますが、苦楽をともにするという意味で私たちは家族なのです。

③ 定期借家制度の悪用

 お騒がせしたベルクの立ち退き問題は、今のところ家主さんがあきらめて下さったのか、落ち着いています。お客様の「なくなったら困る」という声とマスコミ報道が、巨大なJRを動かしました。取材に来て下さった方も、皆さんお客様。しかし、いくら記者がその気でも、JR批判はメディアではタブーとされており、デスクで止められる可能性が高い。うちの場合、2万名の署名が大きかったと言われます。千とか万という数字は記事にしやすいとか。デモ報道もそうですね。
 お客様に守られながらベルクは今も営業を続けています。店冥利につきます。
 ただ、立ち退きの本質的問題はうやむやなままです。JRは既存の駅ビルを買収する際、中のお店を一掃します。問題はそれが余りに一方的かつ急なことと、2000年に施行された定期借家制度の悪用が疑われることです。彼らは最初出ていけとは言いません。契約が変わると事務的に説明するだけです。新しい契約が定期契約です。お店側は意外と用心しません。定期契約を知らないか、知っていても家主ともめるとは思いもしないのです。しかし、サイン一つで店の命綱である営業権は失われます(個人商店の場合、生存権にも関わります)。家主がその気になれば、何の保障もなく身ぐるみはがされ追い出されるのです。一応合法なので、自業自得と泣き寝入りするお店が後をたちません。
 ただいくつか裁判になるケースもあり、最近はお店側の言い分が認められる判決も出ました。定期借家制度はトラブルの元という認識が裁判官にも芽生えているようです。
 しかし、先日の阿佐ヶ谷ゴールド街裁判では、トラブルがあった証拠がないとされ、個人商店側が全面敗訴しました。トラブルがない?ではなぜ裁判になるのか?家主側に都合のよすぎる判決ではないか?うやむやにしたくありません。

④ のっとるかのっとられるか

 06年の春、新宿駅ビルのマイシティがルミネにのっとられ、すぐにテナントの追い出しが始まりました。うちも翌年に退店勧告を受け、それが撤回されたのが12年の秋。その間、お客様を巻き込み、メディアに続々ととりあげられて、騒動は5年続きました。まわりからはよく耐えたとほめられます。私は永久に終らない覚悟でいたので、いささか拍子抜けでしたが。
 耐える秘訣ですか?いえ、私たちはいつも通り営業を続けただけです。困ったのは、人への説明くらいです。なぜベルクを追い出すのか?とよく聞かれました。それをそのままルミネに投げかけたかったです。私たちにもわからなかったですから。昔から駅ビルは権力地図が塗りかわるたび、店のいれかえがおこなわれました。でもうちのように実績のある店は生き残れたのです。ルミネの場合、どの店も例外なく「一掃」しました。その理由は今でもはっきりしません。
 ただ私が一番驚いたのは、テナントの多くが家主の理不尽な要求にあっさり従ったことです。追い出しの理由は、一言でいえば「ルミネの色に合わない」「どんな色ですか?」とうかがっても、「それはルミネが決める」と禅問答です。つべこべ言わず出ていけということでしょう。
 相手がJRグループなので勝ち目がないというあきらめもあったのでしょう。家主との信頼関係をコツコツと築いてきたはずのテナントにとって、突然の三行半はショックが大きすぎ、冷静な判断力を失ったということも考えられます。
 私自身は、親の店を継いだのですが、親のコネでこんな一等地に店を構えられるのは何かのマチガイ?だとしたら、むしろ自分たちがのっとったつもりでいようと腹をくくっていました。幸いお客様が応援して下さったので、じゃあ一緒にのっとり続けましょう!と迷いがなかったのです。

⑤ 個人商店最大の弱点

 突然追い出されたら路頭に迷う恐れのある個人商店は、営業権が命綱です。ところが今、町じゅうが大手系列店だらけで、そんなものは無用という論理がまかり通りつつあります。おいおいちょっと待って。うちは個人商店だよ。絶滅危惧種にしても、まだあるよ。勝手に消滅させられちゃ困るよ。というのが私どものささやかな主張でした。個人商店こそ素晴らしいと訴えるつもりも、個人商店を代表するつもりもありません。
 ただベルクについて本を書いたり取材を受けたりするうちに、次のような疑問が芽生えました。お店を維持するのはただでさえハードです。その上、チェーン店やフランチャイズのように現場に決定権がなかったらやってられるだろうか。やりがいのある仕事の一つとして、個人商店の可能性を残しておくべきではないか。
 個人商店の減少は、スーパーマーケットやチェーン店の出現が大きいと言われます。確かに、個人商店にとって資本力のある大手との戦いは圧倒的に不利です。一方で、個人商店ならではの創意工夫があればもう少しどうにかなるのではないかという指摘もあります。
 ただ、私は個人商店の弱点と申しますか、盲点は教育のような気がするのです。チェーン店のようなマニュアル教育がいいとは申しませんが、個人商店の場合、アルバイトはお手伝い感覚になりやすく、店主は人を使うくらいなら自分でやったほうが楽だから、とどうしても人を育てる意識が希薄になりがちです。
 もったいない。長期熟成の個人商店こそ教育の場にふさわしいのに。育てるというのは、育つのを待つということでもあります。お金も時間もかかります。でも、どうにもならない人が、ある日思いもしない力を発揮したり、助けになってくれたりするのです。
 結局、人なのです。お店の宝は。





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