ベルク店長と絵本作家長谷川集平
※今回の行き違いの原因は、お読みになればわかるが、明らかに長谷川さんの思い込みだった。元々、メール上で(迫川と)やりとりしていたが、急にネット(ツイッター)にベルクの悪口。迫川は目が点になったが、あちらから売られたケンカ。どうせなら公の場で買うことにした。といっても最初からケンカ腰ではなく、「誤解を招いたとしたらごめんなさい」とお返事したのは、謝罪というより相手をたてるための気づかいだった。それに対して長谷川さんは言い訳がましい、愛がないとキレまくり。横から誠意が足りない、愛が足りないと口を出す友人もいて…。もう少しまともな友人いないの?とマジ心配になった‥。(文責:井野)
お騒がせしてすみません。
昨年の8月、義理となつかしさから(30年ほど前、迫川と私は長谷川集平塾の生徒でした)長谷川さんの原画展を企画しました。ベルクでは、月替わりで写真を展示しています。絵画展はどちらかというと異例で、しかも企画展というのは滅多にやりません。かなり不慣れなことをやりました。
でも展示の評判はよかったのです。だから確かに、最後に「来年もいかがですか?」とお声をかけました。
その後、(厳重にガードしたものの)やっぱり絵に煙草の匂いがわずかについていたというクレームのメールを長谷川さんから頂き、心からお詫びしました。元々煙で匂いがついたり色がついたりするのがベルクでの展示の難点(だから普段は複製可能な写真を飾ります)なので、原画展はもう無理だなと諦めました。まあ1回でもやれたのはよかったし、それ以上こちらから積極的に働きかけるつもりはありませんでした。
ところが、長谷川さんがベルクでの展示の準備を進めているという噂をたまたま耳にして(スケジュールはもう埋まっていて、12月だけあいていました)、あわてて12月はいかがですか?とメールを差し上げました。とりあえずの提案です。
が、どうしたことか、長谷川さんからいきなり、8月のつもりで最新作の原画展の準備している!みんなにもそう告知している!どうしてくれるんだ!という抗議が届きました。同時にツイッターでベルクの悪口を書かれました。(現在は全部削除されています。やりとりをまとめて下さった方もいましたが、長谷川さんの意向で消されました。私たちへの謝罪は一切ありません。)呆気にとられました。
私たちには一言も相談がなかったのです。
私たちがお伺いをたてるべきで、自分のツイッターを全部チェックしていればわかることだったそうです(私たちは召使いか?)。一言ご連絡いただければ…。行き違いがあったことはお詫びしましたが、長谷川さんの怒りはおさまらず、ツイッター上で「愛がない」と叱られました。
私も「そんな(自分の思い通りになる)愛などない」と同意しましたが…やはり、土下座して気がおさまるまで謝るべきだったでしょうか?
元々、私たちは過去の名作「はせがわくんきらいや」をやりたかったのです。ご本人は当然のことながら新作の「およぐひと」を飾りたいと希望されました。折角なのでそれでいくことにしました。ただ、最初に、東北震災をテーマにしたといわれるこの絵本を手にして、肩すかしをくらいました。感想めいた言葉に絵が従属しているだけ、というか。どの登場人物も長谷川さんの独り言の化身にしか見えない(一言でいうと、絵本にする必然性を感じない)。
絵そのもの(原画)は、本を開いた時の失望感をやわらげてくれます。パッと目が開く感じがして。そりゃ、素人の絵ではない。
長谷川さんには信者も多いし、よしとやるかと。
実際、絵本はたくさん売れました(うちはマージンを頂いていません)。
でも後悔は残りました。長谷川さんに絵本への失望感を話せなかったので。
長谷川さんは、私も信者の一人とカンチガイされたのでしょう。それも、今回の不幸な出来事につながったような気がします
心にひっかかったことを言わずに我慢しても、結局、ツケがまわってきます。
今回の件で、私は沢山の信者を敵に回したのでしょう。「愛」の信者。一番ふに落ちないのは、長谷川さんのまわりに誰もフォローする人がいないの?ということです。甘やかしすぎ! では、私が暴走したら(半分しているがw)、身内は止めたり忠告してくれるでしょうか。面倒みきれない、と見捨てられるかもしれません。私は信者もいないから、野垂れ死にです。
◎あらためてベルクの月替わりの壁の展示について(ツイッターより)
ベルクの展示の大きな特徴は、壁を無料解放したことにある。元々、私たちはこの新宿駅構内という怒涛の渦のような場所を占拠した感覚で店を始めた。お客様も業者さんもスタッフも(勝手に)共犯者という感覚。土台である飲食業に少し余裕が生まれ始めてから、壁でも何かしでかそうと思うようになった。
ある意味、「共犯」関係に一番自覚的なのが、壁の展示だろう。飲食のお客様は、大多数の方が知らず知らず利用されているだけだから。「占拠」感を一番意識しているのは、私たちスタッフと展示者だ。
ベルクの展示において、この「共犯」感覚があるかどうかはかなりポイントだ。ベルクという、ギャラリーほどにはシステム化されていない、むしろ台風の真っ只中にあるような飲食店に作品を展示することは、それ自体に無理がある。また無理なことをやるから面白い。ただ、お互いそれなりの覚悟も必要だ。
最終的な責任は私たちにあるが、話さえつけばどうぞご自由にの世界。よほどのことがない限り、私たちは内容にまで立ち入らない。飲食部門で精一杯なので。当初は、相談や飾り付けの手伝いにもかなりの時間を割いて応じたが、希望者がどんどん増え、店も忙しくなり、物理的に不可能になった。
私たちが主催する展示は(迫川展以外)原則的にやらない。展示の希望を随時(プロ・アマ問わず写真家から)受け付け、話がついた方から優先的に予定をたてる。いつまでも声をかけてもらえないと拗ねる作家がいらっしゃるようだが、私たちが企画する訳ではないので、私たちからは声をかけない。紹介も受け付けない。ご本人が希望されればお話を伺う。
企画展が異例というのは、そういう意味だ。100歩譲って、行き違いがあったのはそれがうまく伝わっていなかったからかもしれない。そうご説明し、何とか手探りでいい方向に話を持っていきたかったが、長谷川さんにしてみれば、悪いのは全部こちらで(この種の行き違いは、どちらも悪くないとも、どちらも悪いともいえるのだが)全部「言い訳」にしか聞こえないようだった。特に「異例」「特別」という言葉に彼は異常に反応し、感謝しろってことか?とふて腐れた。
昨年の長谷川集平展は企画展だったからこちらで額縁をご用意し、飾り付けもさせていただいた。別に感謝されるためにやったのではない。やりたいからやった。ただ普段はそういうやり方をしていないので、なぜまた声をかけてくれないのか?と怒られても困るのだ。
長谷川さんが「高ピー」と猛烈に非難した、店からの展示希望者へのお願い。→http://berg.s1.bindsite.jp/tennji/
普段はこのようにやっている、とあくまでも「参考」のために彼にお見せしたが、それでも許せなかったようだ。こんなルールがあること自体が。いや、ルールなんて破るためにあるし、そのバトルの中からいいものが生まれたりもする。ただ、店の事情も少しは理解していただきたかった。
長谷川さんは長崎にお住まいで、ベルクがどんな状況にあるかご存じない。なぜこんなルールが生まれたのか、ぴんとこない面もあるだろう。わからないことは聞いていただければお答えするが、「打算だらけ」と非難されるばかりで、会話が成り立たなかった。
心中してもいいと思える作品だってごくまれにあるが、展示を続ける限り、義理も人情も打算も働く。いちいち死んでいたら、命がいくつあっても足りない。
また今まで「さん」付けしていたのが、急に私たちを「迫川、井野」と呼び捨てにしだした。友だちの証? 年下だし、元生徒だからわからないではない。呼び捨てにされてもかまわないが、その前に一言「呼び捨てにしていい?」という確認があってもいいだろう。長谷川さんには、そういう交渉が一切ない。何でもご自分の思い込みで、一方的に決められる。
下に見られたくないとは一言も言ってません。ただ、店の展示に関しては、客の立場であれこれ言われても(これは長谷川さんのことではない)対応できないことがあるということです。展示者とはコラボのつもりでいるし、こちらにも出来ることと出来ないことがあると言っているだけ。
(長谷川さんへのメンション付きツイ―ト。私が立場が弱くなるようなやり方をさけたいといったら、そんなに下に見られたくないの?ぼくなんか、下に見られたいくらいとつぶやかれたので)
そもそも下に見られたくなかったら、飲食店なんてやってませんw
お互いに「やってやってる」になったら、おしまい。そうならないためにも、譲れないことは譲れないと言わないと。対等な関係のはずだから。それが「えらそう」に見えたのだとしたら、あちらがこちらを見下している証拠だろう。
ベルク店長 井野朋也
2014.3