喉仏と背中
by Tomoya Ino
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「ベルクだけで、十分に写真のテーマになるね~」
つまり、ネタに困らないから羨ましい~とベルクの副店長でもある迫川は、他の写真家によくいわれる。確かに、駅ならではの多種多様な利用客がビールやコーヒー、ホットドックを口にする絵はいつまでも見飽きない。ただ、何でも貪欲に撮る迫川も、自分の店であるベルクには殆どカメラを向けることがなかった。「ベルク本の表紙にベルクの写真を」という依頼を受けるまでは。
「(ベルクは)自分の喉仏みたいなもんでしょう」
と長谷川明さんはニヤリとされた。何年も前のこと、新宿西口思い出横丁の「朝起」という店でたまたま隣同士になった団塊の世代らしい男性客と私たちは、何かの拍子に写真談義で盛り上がった。名刺をいただいて、初めて伝説の写真編集者、長谷川明とわかった。その後、ベルクにお連れすると、長谷川さんは店の雰囲気を面白がり、ただ、迫川に「ここは撮れないでしょう?」と図星の指摘をされた。迫川も、写真に撮ろうとすら思わなかったようだ。依頼を受けてから、自分の喉仏を撮るように戸惑っていた。
しかし、どこでスイッチが入ったのか、表紙の写真は間に合ったし、スタッフ、食材、料理、生け花、調度品といったものは今でも撮りまくっている。ただ、一番の主役であるお客様は、一番デリケートなところでもあるし、色々な意味で難しく、思うように撮れない。
「後ろ姿でいいじゃない?ベルクならお客様の後ろ姿で一冊の写真集になる」
とある写真家が迫川をつついた。それほど、店内は様々な後ろ姿であふれている。
「あの方、堅気ではないわね」
会長(母)が、カウンターによりかかるお客様をガラス越しに見てそうささやいた。私たちはデザイナーと聞かされていて、疑いもしなかったが、実はその方はある暴力団の組長だった。ある時、ご自分から白状された。後ろ姿だけで見破った会長はさすが、ダテに年をとっていない。その方は、いつもベルクにいらっしゃる途中、子分を待たせ、携帯の電源を切り、つまり、ほんのつかの間ヤクザであることを忘れてベルクで過ごされるのだ。刺青を隠すため、夏も長袖だった。ある日、私に思いついたように足を洗うと約束された。それから何年かかったろう。指を詰めるか何千万円用意するか、どちらかしかないという。元々、フレンチのシェフになりたかったそうだ。ベルクのメニュー開発にアドバイスをいただいたことも(レモントーストとか)ある。指を詰めたら、料理は出来ても堅気の世界というか、サービス業に戻るのは難しくなる。だからお金を用意することにしたのだろう。何千万というお金をどうやって集めたかはあえてきか(け)なかった。数年でそれだけの大金、フツーじゃ無理だ。でも、横浜にお店をだしたと報告にいらっしゃった時は、思わず祝杯をあげた。
元組長の背中の龍、いつか迫川に撮ってほしいのだ。
2012.3