さようなら中野ひかり座 of 写真とベルクのあいだでⅢ



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写真とベルクのあいだでⅢ

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さようなら中野ひかり座 1


9.11.30

遂に取り壊されることになった中野センター。終戦直後、商店街の人たちが自力で建てたショッピングモールです。2階の中野ひかり座を30年ぶりに訪れました。お芝居の「東京物語」がやってて、最終公演ということで。ここは、最近、芝居小屋や映画のロケに使われていましたが、元ポルノ映画館で、田中小実昌の『ぼくのシネマグラフィティ』によれば中野駅南口の左手には、かつて「ひかり座」の大きな絵看板がでていたそうです。「ひかり座まで百メートル」と。私も週に1度のミッドナイトショーに通っていました。19の頃。アダルトビデオなんてない時代。一晩中、寝たり起きたりしながら大きなスクリーンの裸の女や男を見ていました。今思えば、真の映画体験だったかも。

(井野)

photo by Naoko Sakokawa
music by Tomoya Ino

さようなら中野ひかり座 2


9.11.30

ロマンポルノには、制作に低予算、短期間という厳しい制約はあったものの中身に関しては、何分毎にエロシーンを入れるという条件があるのみで、基本的には何でもありだったそうだから、作り手にとっては願ってもない修行の場でもあったしょう。現に、そこから多数名監督名脚本家輩出しています。作品自体も、歴史的名画として残っているものが結構ある。


(井野)

さようなら中野ひかり座 3


9.12.1

さようなら中野ひかり座 4


9.12.1

一瞬、ニコニコ動画風(笑)。

閉鎖寸前の中野ひかり座(光座と現在は表記されています)思いもかけず入れたのは、新転位・21という劇団の公演があったお陰です。小津「東京物語」がお芝居に。母の臨終シーンが異様に長かったのは、ひかり座への追悼だったのか。「昭和の館」の最後「昭和の家族」を描いた「東京物語」で…ということでしょう。あの人間の突き放しかたは今でも斬新です。ノスタルジーからは程遠い


(井野)