忘れられない写真家/鈴木清の仕事


10.7.21




写真家鈴木清さんの不在が、ずっと長いことのみこめなくて。


毎晩、店長と「どうして?」と話していました。病気で亡くなったのが2000年、もう10年経つことになります。


98、99、00年と3年連続コニカプラザで写真展をやったんですね。ご本人は3部作と呼んでいました。


3回とも、オープニング・パーティーの料理とお酒を私たちベルクが請け負いました(ベルクは鈴木さんに壁の展示のこと等で色々お世話になりました。現在、店内に飾ってある食の職人たちの写真も鈴木さんが撮影して下さったものです)。


ムービーでは、主に3回めの展示の様子がご覧になれます。ただ、3回めの時はすでに鈴木さんは亡くなっていました。99年が生前最後、00年は遺作展となりました。


毎回凝った展示で、綿密な設計図のようなイメージ・スケッチがあるんですね。鈴木さんに直接見せていただいたこともあります。00年の「遺作展」もスケッチだけは残されていて、娘さんたちと金村修さんをはじめとする若手が中心になって、それを元に3部作を完成させました。


床に写真があったり、空間を縦横無尽に使う。石ころや布、貝殻と写真が同等に扱われている。展示のイメージ・スケッチまでもが展示物になる。見るたびに「これ、私もやってみたい!」と刺激を受けました。


私が現代写真研究所の研究生だった頃、1回だけ鈴木さんの特別講義「体験的写真論」があったんです(その17年後に、自分が同じ場所で同じタイトルで講義する立場になるとは)。それに衝撃を受けまして。黒いシミのついた写真があって、フィルムに穴があいたからだそうですが、それがまたむちゃかっこよくて(DMにもなっている、男の子の写真)。それ以来、鈴木さんをオッカケてます。


インクジェット・プリンターが普及しはじめた頃、企業(エプソン)が最初にプッシュした写真家は、森山さんでも荒木さんでもなく、鈴木さんでした。


もちろん海外での評価も高いし、土門拳賞も受賞されていて有名写真家ですが、今、意外と話題にのぼることが少ないように思います。色々な人たちを巻き込み、精力的に活動されていましたから、やはり皆さん、突然の不在がいまだに信じられないのかも知れません。


でも作品は残されています。もっと見られる機会があってもいいんじゃないか。


とりあえず、今となっては貴重な鈴木展の様子をムービーにさせていただきました。意外とこれも、映像で記録している人は少ないような気がするんです。音は、店長の井野がつけてくれました。マイド!


ところで、一瞬なのでよくわからないと思いますが…ムービーでは3度ほど登場します…展示の中にはベルク(1卓…スタッフには死角になる一番落ち着く席)の写真もあります。エッセン・ベルクの開発中、実現はしませんでしたが、ディップを使うイメージが私の中にあって、その関係でエジプト人の料理人と会うことになり、家族で遊びに来てくれたのです。鈴木さんも偶然通りかかったんですね。すーっとうちとけるように入ってきて、何枚もパチパチと。はい。私も写っています。これ見て、急にそのときのことを思い出しました。



(迫川)


写真 by 迫川尚子
音楽 by 井野朋也






鈴木清写真展『百の階梯、千の来歴』 2010.10.29-12.19 東京国立近代美術館

「鈴木清展」展 by 迫川尚子
2010.11 BERG


10.12.6

追悼鈴木清『見果てぬ夢』



 十年前、新宿駅構内に、小さいながら、自分たちの店をもちました。目の前を毎日何万という人間が通り過ぎていきます。商売にならなければ店は続きませんが、商売にすればいいんでしょ(って簡単にいけばいいんですけどね)、壁は自由に使わせて。商売の支障にならない範囲でするから。
 そんな訳で、殆ど衝動的に、ベルクという店で、月がわりのオリジナルプリント展が始まりました。先日亡くなられた鈴木清さんには、いつの間にか、勝手に顧問になっていただいて。でも実際、鈴木さんは毎月店に律儀に見に来て下さいましたし、写真家を、鈴木さんと並ぶ大御所からご自分の教え子さんまで、何人も紹介して下さいました。感謝の気持ちでいっぱいです。
 ただ、こんなことは言うだけ空しいですが、なぜ今なの?という思いはあります。これでは他人の面倒見がいい鈴木さんという話に落ち着いちゃうじゃありませんか。鈴木さん顧問なんだから。まだまだ聞けずじまいのことが沢山あるのに。もっともっと食い下がらせてもらう時間がほしいのに。
 ベルクは、場所柄、雑多な人間が、移動のあい間にほんの一息ついて、またあわただしく人混みに消えていくビア&カフェです。写真は、店内の折れ曲がった壁に並べるのですが、飾りにするには主張の強すぎる写真もありますし、かと言って、ギャラリーのように鑑賞する雰囲気ではなくて、写真に全く見向きもしない人もいれば、ビールのつまみにする人もいる。コーヒー飲みながらぼんやり見るともなく見る人もいる、という状態です。
 写真展の感想ノートにも、ギャラリーとはまた趣のちがうコメントが書かれるようです。一度、盗み撮りはやめろという批判があり、ノート上で大論争になったことがあります。その月の写真展は、街で見つけた男女の、老人から若者までですが、カップルの写真ばかりを集めていました。被写体と写真家の距離感が、決して遠すぎず、近すぎず、その場の空気までちゃんと盗みとったような、胸にしみる写真でした。いわゆる「盗み撮り」写真は、確かに巷にあふれています。しかし、それらが品性下劣な感じがるのは、盗み撮りというより、むしろ何も盗んでいないのに盗んだつもりにっているからではないか。ノート上でそのような作品擁護の反論が続出しのです。
 作家はさすがにかなり動揺したようで、写真展の中止を申し入れてこられました。ただあの批判自体は悪質ないやがらせにしても、それをきっかけに、様々な言葉が呼び起こされたのはとても面白く思い、もう少し続けて様子を見ましょうと説得しました。顧問であり紹介者でもある鈴木さんも、心配してすぐ電話をかけてこられました。事情を説明すると、すぐ安心され、「有難う」とお礼まで言われました。その後、感想ノートに目を通され、こんなことはギャラリーじゃ起こらないよ、ここは面白い場所だねとおっしゃいました。鈴木さんはいつもじっとしていられず、動き回っていないといられないような方でしたが、その時もさあーっと店にいらっしゃって、ほんの一瞬ですが、でかい獲物でも釣り上げたかのような、晴れ晴れした顔をされたのを思い出します。ベルクで写真展をやる意味を、その勢いにのって私もつかみかけた気がしました。
 ただ、鈴木さんとは一度もあらたまって、腰をすえてそのことについてお話したことはありません。今書いてふと思ったのですが、腰をすえたとたん逃してしまう何かを追いもとめるのが鈴木清という写真家だとしたら、そんなことは初めからかなわぬ夢だったのかもしれません。私にしても、殆ど衝動的に始めたことですし、鈴木さんとも衝動的に出会った。それがことの全てだったのかもしれません。
 といっても、鈴木さんご自身の手によるベルクでの鈴木清展はついに実現していません。「流れの歌」のオリジナルプリントをお借りして飾らせていただいたことはあるのですが、何年かのうちには絶対に、と密かにもくろんでいたのですが。たまたまというより、それに関しては……鈴木さんは腰が重いように私には見えました。勿論、床から天井まで空間全部を自由に駆使して作られる鈴木ワールドが、店ではどこまで可能かと私だって考えました。鈴木さんは初めから諦めていたかもしれませんが、私は相当覚悟していたのです。その月だけは、ひょっとして営業にならなくても…と、それは無責任で、気持ちの上の話ですけど。鈴木さんはあくまでもギャラリーの中で無意識の制約をほどこうとされた。
 それが、あのどこが始まりでどこが終わりかも分からない、迷宮のような写真展になったのだと思います。でも、それ自体が迷宮のようなベルクという店で、店には店の制約がありますから、それを鈴木さんはどうふりほどくのか、恐らくギャラリー以上に壮絶なバトルがまちかまえているでしょう。ぜひ、一度お手あわせ願いたかった。鈴木さん、さすがにびびったのかな。少なくとも、ものすごく慎重ではあったな。それだけ、やっぱり大変なことなのだろうと色々考えます。
 でもそれについていくら腰すえて話し合ったところで、きっとらちはあかなかったでしょう。もっと無責任に、衝動的にのせるしかなかったでしょう。それには、もうちょっと私もエネルギーを蓄えて、タイミングを見計らうしかなかったでしょう。そのチャンスが永久に奪われたのはくやしい。神様を、本当に私はうらみます。









迫川尚子
(『写真の会』会報No.46 2000 5.27 追悼鈴木清より)










映像 by 迫川尚子
音楽 by 井野朋也














中村正義の絵『街』 1967


10.6.10




10年前、ベルクの開店10周年記念の月(2000年7月)にベルクの壁を飾ったのは、中村正義の「顔」シリーズでした。副題が、『写真で見る中村正義』…さすがに原画は傷ついたり汚れたりしたら恐いので、画集用に酒井敦さんの撮られた写真を使わせていただいたのです。正義のライフワークだった「顔」の作品群をずらーっと。圧巻でした。勿論、正義の娘さんであり中村正義の美術館の館長である中村倫子さんの許可を得て。展示の様子は写真で記録しているので…どっかあるんですけど…出て来たら、ご紹介しますね。



10周年の「ベルク通信」はきばって両面印刷。に店長、に倫子(のりこ)さんの記事があります。倫子さんも書かれていますが、中村正義の美術館開館当初、集まりがあって、そこで私たちは正義の作品に囲まれながら夕飯をごちそうになり、正義とは同志だった「原爆の図」の丸木夫妻も同席されて、緊張で何も喋れなかったと思いますが、筍のお刺身を一緒に食べたのが妙に覚えています。


また、10周年当時中村正義の美術館で発行されていた「顔・顔かわら版」という会報の<シリーズ1枚の絵>というコーナーに、恐れ多くも私、書かせていただきまして、(ベルクの宣伝と一緒に)それも下にご紹介いたします。


そのとき、倫子さんから、「ふたり」という正義の版画をいただきました。そこには正義直筆のサインが…!!家宝にして、今も大事に自宅の壁に飾ってあります。







(迫川)



中村正義の絵を見るってどういうこと?




絵ってどうやって見る?一瞬で通り過ぎるようにして見る。じっと目をこらして見る。それは絵にもよるな。その時の見る人の体調にもよるな。
絵は見るものだ。いや、そうとは限らないかも。思い出す絵もある。頭の中で再現して見るのか。それからまだ見ない絵もある。見なければ、存在しないに等しいか。
中村正義の絵を見るってどういうことだろう。これまで実物を何点も目のあたりにした。画集も持っている。つまり私は中村正義に並々ならぬ興味を持っている。まだ見ていなくても、正義の絵なら、見てみたい。まだ見ていないことのほうが不思議なくらいだ。
私は中村正義という人物にひかれているのか。その画風にひかれているのか。中村正義とは絵の作者の名前だ。作品と作者は切り離すべきだ。作品は作品として純粋に評価し、鑑賞するべきだ。そう思いながらも、私は、中村正義という名前を消すことが出来ない。
これから先、作品によって失望させれたりすることがあるだろうか。それとも正義というだけで、絶大な信頼を寄せてしまうだろうか。恐らく、そのどちらでもないだろう。うまく言えないのだが。
私の知る限りでも、正義は沢山の画風の異なる絵をこの世に残している。器用に描き分けたにしては、その異なり方が半端じゃない。劇的過ぎる。心境や環境が変化するのか。手法を改革するのか。今のところ、どの絵にもびっくりさせられている。そして、そのびっくりの質が、一枚一枚で違う。この画風の激変ぶり自体、私には面白い。
一枚一枚見るのとは別に、正義が一生かけて描いた無数の絵を全部で一枚の絵として見ることも出来る気がする。そのへんはプロの評論家がもっとうまい、気の利いた説明をしてくれるかもしれない。
ただ、これだけは言える。正義の絵は、評価したり鑑賞したりする対象以上の存在として、私とかかわり、私に何か投げかけてくるのだ。正義の絵を一枚だけとのことなので、そんなことは無理なのを百も承知で、あえて「街」を選ばせていただいた。仕事のあい間に街の写真を撮ることをささやかながら私のライフワークにしているせいか、まず「街」というタイトルに思い入れがある。
今の東京を記録しておこうとか、そんな意図がはっきりある訳ではない。街をうろつくのが目的なのか、撮影するのが目的なのかすら実は判然としない。探しものをするように、誘われるように街のどこかにひきこまれる。歌舞伎町に、幼少の頃過ごした熱海の街を重ねたりする。もしかしたら、街を歩きながら自分の記憶をたどっているのかもしれない。
「街」は十年前、池袋西武の展覧会で実物を拝見した。画集などで見るより、道がもっと黒かった。色が深くてきれいだった。そのときは他の絵に圧倒されていて、これはどちらかと言うと通り過ぎるようにして見た絵だった。
今思い出すと、傷口に触れるような、痛いような、なつかしいような、おかしいような気分になる。
この絵の前で、画家の田島征三さんとばったりと会ったのだった。「こんな絵を描く人は」と田島さんはおっしゃったのだが、その先を憶えていない。ただそれ自体が街中の出来事のように思えるのだった。





迫川尚子




音楽 by 井野朋也








中村正義の美術館








中村正義の顔


10.6.12


絵 by 中村正義
音楽 by 井野朋也

メモリー・オブ・ライフ
田島征三作品集
出版記念展覧会


11.2.1




映像 by 迫川尚子
音楽 by 井野朋也




生命の記憶 田島征三作品集1990-2010 出版記念シンポジウム&展覧会




田島征三ホームページ

富山妙子!!!!!! 2010.12.1


10.12.6




日本を代表する画家の一人だと思います。


(迫川)




アジアを見つめて
植民地と富山妙子の画家人生
~日韓併合100周年企画~
東京YWCA会館カフマンホール
2010.11/26-12/11






撮影 by 迫川尚子
(富山さんの了承を得て、撮らせていただきました‥興奮)
音楽:フォーレのピアノ・トリオDマイナー 第2楽章




富山妙子-wikipedia

渋谷、コスタ


10.8.3



迫川「渋谷にコスタで日計りで」
井野「もうちょっと整理して話そうよ」
迫川「コスタが新作で渋谷に日計りで」
井野「全然わからないよ」
迫川「店長と中原昌也にはさまれて」
井野「あーそうそう、偶然ですが中原さんが隣の隣の席にいたね」
迫川「動き方同じで」
井野「あーじっとしてられないところは似てるかもね。映画館の椅子で」
迫川「コスタが舞台挨拶で」
井野「少し落ち着いてきた?話が見えそうだよ」
迫川「中原さんに挨拶したら、ほっといて!とそっぽ向いて」
井野「主語を明確にしよう。上映終了後、コスタが舞台挨拶する直前に中原さんに気づいて、会釈したんだよね。うちら最前列でスクリーン見上げてて」
迫川「コスタ近っ!!」
井野「(通訳)舞台というより、もう真ん前でコスタが通訳の人と立って…」
迫川「ひろった!」
井野「え?あーひろった」
迫川「何ひろった?」
井野「5円玉。コスタが喋ってる途中、落ちてる5円玉に気づいたの。話中断して俺の左隣の人に渡してた。その人の足元にあったから。爆笑」
迫川「その人のかしら?」
井野「まーいいじゃん。(解説)渋谷のユーロスペースにペドロ・コスタの新作『何も変えてはならない』を見にいったわけです。迫川は熱狂的ファンで、今も興奮状態がさめません」
迫川「男の子たちおしゃれ」
井野「はい、どーどーどーどー。うなされてるみたいなんで」
迫川「見にきてる若い男の子たちがおしゃれだったよ」
井野「そりゃエヴァンゲリオンじゃないんだから。女の子たちは?」
迫川「まあ」
井野「まあって。はりあってもしょうがないんだし」
迫川「サインもらた」
井野「よかったじゃん。『日計り』も渡せて」。
迫川「シンジュク!フォトグラフ!しか言えない」
井野「原始人だ」
迫川「表紙見て、『おー!』って」
井野「原始人どうし」
迫川「でも表紙見てもらえた」
井野「中身も見てくれるよ」
迫川「新宿という言葉にやっぱ反応してた」
(この日は、朝一番、店の製氷機が壊れてて、底が見えた。初めて目にする光景。歌舞伎町中のコンビニの氷をかき集め、接客しながらクロアチア展の飾り付けをする中、スタッフが夏ばてでダウンするなど、てんやわんやの1日でした。)









写真 by 迫川尚子
音楽 by 井野朋也




ペドロ・コスタ+ジャンヌ・バリバール『何も変えてはならない』



武盾一郎初個展
『リアル・ファンタジア』
2010.7.8gallery TEN



10.7.23






新宿西口ダンボールハウス絵画の武盾一郎(たけじゅんいちろう)さん、
初の個展を見に、根津にある「ギャラリーてん」さんにお邪魔しました。


映像 by 迫川尚子



スズキコージ ライブ・ペイティング 2005.8.12
サンシャイン60 展望台 
スカイギャラリー


10.4.28




10年以上前になりますか、絵本作家としても有名な画家のスズキコージ(ズキン)さんに、ベルクのエスプレッソ・コーヒーの宣伝用ポスターを依頼したことがあります。当時高価なエスプレッソマシンを購入したばかりで、グレードがさらにアップしていました(現在は、さらにさらにアップ!)。


ベルクのコーヒーは冷めても美味しい、のが自慢。冷めたカップの上で冷めた関係のカップルがソッポを向いたまま冷めたコーヒーを飲むという私のアイデア(という程のものでもないですが)を生かしてスズキさんは素敵なイラストを描いて下さいました。


たまたま街をほっつき歩いてたら、路地の奥まったところにすーっと風の抜けるお宅があって、ベランダには何やら得体の知れないオブジェが飾ってあるというより放置されてあって、中を覗くとスズキさんが座ってらっしゃいました。思わず「スズキさん!」と声にすると、スズキさんは手招きして下さって。中でお茶をご馳走になり、秘蔵の作品(後にベルクで展示)を見せていただき、随分長居してしまいました。調子にのってポスターの依頼をしたら快諾して下さったのです。


映像のラストに、そのエスプレッソ・ポスターが登場します。しばらく店内の一番目立つ所に立派な額縁に入れて飾ってあったのですが、一種のギャザリングですか、ベルクは数が出る商品ほど価格が下がるというシステムで、お陰様でエスプレッソはまだマニアックな商品だったにも関わらず出るようになったのです。価格があっという間に250円からブレンドと同じ200円に下がりました。ポスターには「250円」とあって、それはもう作品の一部であすから変える訳にもいかず、引っ込めざるを得ませんでした。
スズキさんがお客様でいらっしゃるたび、「ポスターは?」と聞かれ、「今、大切に保管してあって」とあわててごまかします。でも、正直に価格が変わったと説明すれば、スズキさんのこと、ひょいひょいとその場で直して下さるかも。今度そうしてみます。(2011年12月に直していただき、店に飾りました。)


さて、映像は5年前にやはり偶然、池袋のサンシャインシティ、確か展望台のあるスカイギャラリーで、スズキさんがライブペインティングされてるところに遭遇、迫川が連写しまくった写真です。









井野朋也




写真 by 迫川尚子
音楽 by 井野朋也




スズキコージ公認ホームページZUKING


さまようレノン・ソング


10.4.29


迫川尚子が選ぶ、ベスト・レノン・ソング
1.インチュイション
2.イエス・イット・イズ
3.スチール・アンド・グラス
4.マインド・ゲームズ
5.アイ・ワナ・ホールド・ユア・ハンド
6.ユー・キャント・ドゥー・ザット
7.イフ・アイ・フェル
8.ハッピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン
9.アウト・ザ・ブルー
10.ウェル・ウェル・ウェル
11.テル・ミー・ホワイ
12.ベイビーズ・イン・ブラック

井野朋也が選ぶ、ベスト・レノン・ソング
1.アンナ(カバー)
2.アイ・フィール・ファイン
3.イット・ウオント・ビー・ロング
4.オール・アイヴ・ガットゥ・トゥ・ドゥ
5.ホエン・アイ・ガット・ホーム
6..カム・トゥゲザー
7.ティケット・トゥ・ライド
8.ヘルプ
9.マザー
10.ニューヨーク・シティ
11.シー・セッド・シー・セッド
12.イエス・イット・イズ



Nowher Plan For Berg(ベルク通信1998年5月号)




movie by 井野朋也
music by ジョン・レノン&フィル・スペクター(Here We Go Again)








BERG JOHN LENNON POP





photo. by Naoko Sakokawa
music by Tomoya Ino

鈴木清

中村正義

田島征三

富山妙子

ペドロ・コスタ

武盾一郎

スズキコージ

ジョン・レノン


長谷川集平


迫川尚子が最もリスペクトする写真家

鈴木清さん
のこと


鈴木清。福島県いわき市生まれ。今や世界的な写真家です。昨年は、世界最大の写真展「パリフォト」にも作品が出品されました。鈴木さんはベルクの壁の展示の顧問を引き受けて下さり、店頭に飾られている職人たちの写真も鈴木さんによるものです。迫川の写真集『日計り』は、鈴木さんに捧げられています。


鈴木清 パリ・フォト報告会



鈴木清さんの個展に飾られたベルクの"1卓"の写真。日本でエジプト料理店を始めたいという相談をエジプトの料理人(左端)から受ける迫川副店長(左から3番目)と料理人家族。


ベルクのケータリング・サービス(現在、お休み中)は、元々鈴木清さんのリクエストで始まったものです。鈴木さんのコニカでの個展(3年連続)のオープニングパーティーが、私たちにとっても最大の腕の見せどころでした。

BERG伝説のパーティー料理



鈴木清さんのお葬式でかかったスプリングスティーンの「サッド・アイズ」。鈴木さんの好きな歌だったのだろう。ロバート・フランクの「鈴木清の目もサッド・アイズだった」という追悼の言葉…。だから私の最初の携帯アドレスもsad-eyesだった。

Sad Eyes - BRUCE SPRINGSTEEN


2014.1.9 井野

ベルクの職人コルトン

2010年に東京国立近代美術館で鈴木清写真展が開催されました。 その展覧会「百の階梯、千の来歴」と同じタイトルの写真集が発刊。その謝辞の欄に、ベルク副店長迫川尚子の名前が記載されていることが、最近判明致しました。ご縁の深さに感動します。

2012.7.8
今香子





ベルクの職人コルトン(写真の電飾看板)は、鈴木清さんによるものです。
鈴木さんの方から提案して下さり、職人たちの仕事場を一つ一つ訪ね、撮影して下さいました。今、店には飾ってありませんが、うちの社員である今香子もちゃっかりケーキ職人として(確かに当時、今の素朴な手作りケーキを店でお出ししていたのですが、ケーキ職人なのになぜか神社の境内で箒を持っている)撮っていただき、その写真は今家の家宝に。

井野






撮影、ケーキということもあって、南口サザンテラスで予定していたそうです。が、私を見て五分後、急遽神社に変更!さすが鈴木清さんです。そして昆虫脳並の私を案じて付き添って下さった副店長。とても貴重な体験をさせて頂きました。