11.9.2
シモキタヴォイスに参加して
下北沢では、再開発の見直しを求めるコンサートやイベントが頻繁に催されいます。一方で、外野からは冷ややかな視線が注がれているとも言われます。単に内輪でお祭り騒ぎしているだけじゃないか、と。それは私たちも似たようなものかも知れません。ベルクでは、昨年から家主のルミネさんに向けて、お客様とともに営業継続を求める署名活動を展開しています(シモキタに比べると、華やかさには欠けるかも知れませんが)。ベルクの場合、大企業対小さなお店という図式がわかりやすかったのか、メディアの取り上げ方も好意的で(書き手が皆さん、ベルクの常連さんでしたし)、外野の視線もどちらかと言えば同情的ですが、家主とテナントによる「出ていけ」「出ていかない」の押し問答は、ベルクを全く知らない人には、しょせん、内輪のお祭り騒ぎに過ぎないでしょう。
それでも、私たちがこの問題を公表したのは、二つ理由があります。一つは、密室で家主とやり合うだけでなく、お客様にも店の進退について問いかけたかったから。もう一つは、立ち退きが…地権者・借家人・テナントの違いはあっても…誰の身にふりかかってもおかしくない問題だったからです。私も「立ち退き」なんて物騒なものがあることくらい知っていましたが、しょせん、無関心、高みの見物でした。が、テナントとして我が身にふりかかった時、急に切実になりました(そんなものです)。ケイレツ店のようにネームバリューのあるお店は、まだ場所に縛られずにやれます。その分、切実さも薄いでしょう。ケイレツでなくても、逆に裸一貫とか、風来坊的生き方に憧れてしまうほど、お店って…特に個人経営の飲食店の場合、長年やると実感しますが、その場所に根をはる形で人との関係や自分のスキルを熟成させる職業なんですね。農家もそうですが、その土地に根ざして生活を営む、いわばその場所から不自由な人たちにとって、立ち退きは人生のやり直しを迫る大問題(大迷惑)です。「他でやれば?」という声が私たちのところにも寄せられますが、あまり気軽に言わないで~というのが正直あります。
とにかく、立ち退きは今どこにでも起こりうる問題です。その時に、立ち退かせる側は、それなりに準備もできているでしょう。情報交換もしているはずですが、立ち退かせられる側は、まさに青天の霹靂。完全に孤立している場合が多い。だから「公表」には、同じ目にあわされたもの同士の情報交換という意味も含まれています。こちらも情報を握っておかないと、とても勝ち目がない。やはり、公にするからには、内輪の問題にとどめず、他の問題にもつなげたい。それで今回、シモキタヴォイス2009ともつながれた訳ですが、立ち退きが原則的に再開発(都市計画)の論理で進められる以上、こちらも都市のありようについて考えなければなりません。個人的には、都市なんて計画的に作っても全然面白くない、自然にまかせた方がいいと無責任に思いますが、真面目に考えれば、交通の問題もあるし、計画そのものを一概に肯定できないにしても、一概に否定もできない。むしろ問われるべきなのは、大木雄高さん(シモキタヴォイス実行委員長)も強調されているように、計画のありよう、その進め方です。計画を進める人たちが必ず口にするのが、もう決まったことだからとか、今さら覆えせないとか、計画そのものの正当性より、そうした「既成事実」ばかりなんですね。充分に議論されないどころか、進める側から何ら具体的な説明もないまま(それはルミネさんも同じです)ゴーインに進められる。それに対して私たちはとりあえず「待った」をかけているだけなのに、事情もよくわからない人に「反抗的」とか「お祭り騒ぎ」ですまされるのはちょっと悔しいですね。
シモキタの「お祭り騒ぎ」に対して、私の周囲で説得力があるとされる批判は、「住民が反対するならまだわかる。住民でもないのに、下北沢に思い入れのある人たち(若者や文化人?)がシモキタを守れと再開発に反対するのはおかしい」…でした。さて、私たちは、シモキタのどこに思い入れがあるのでしょうか?街並み?青春時代?(東浩紀さんの言う「ノスタルジー」?)色々あるでしょうが、一言で言えば、個性的な商店がごちゃごちゃ集まる、あの独特の雰囲気だと思います。今回のシモキタの計画では、まさにそこが軒並みやられます。私が一番気になったのは、当のお店の人たちはどう思っているのかということです。商売上、発言したくてもできないのではないか。今回、大木さんとお会いして、初めて、昔からのしがらみで多くのお店が思うように発言できない状況にあるのを知りましたし、シンポジウムで石本伸晃先生(シモキタ訴訟弁護団)がおっしゃったように、そもそもお店(テナント)には発言権が認められにくいという法的な問題もあります。お店って、こういう問題でも背景に押しやられるんですね。その場所に根づいて(義務も負って)生活しているという点では、住民と同じなのに。
今回のシンポジウムに関しては、下北沢を守るというより、テナントの利権を守りたいだけじゃないの?という批判もあったようです。また、住民は必ずしも再開発に反対ではないとか、住民は下北沢の個性的な商店街を快く思っていないとか、攻撃の矢が何となしにお店に向けられている(一見、住民主体のような)発言もネットで見かけました。シモキタヴォイスの主催者の一つが下北沢商業者評議会ですし、このシンポジウムもお店主体の色合いが濃かっため(何しろ、タイトルが「『個人経営の店』という文化?」でした。それで私も呼んでもらえました)、住民対お店という図式に回収されてしまったのかも知れませんが、ツッコミどころはありす。まず、テナントの利権って何?一度でもお店をやればわかりますが、どんなに繁盛しても笑いが止まらなくなることはありません。出ていくものも多いからです。金は天下のまわり物というまさにその感覚です。それでもお店を続けるのは、利益以外に価値(生き甲斐)を感じるからです。それから、住民って誰?誰が代表するの?もし仮に、住民の中にお店の騒音なんかで悩まされている人がいたとしたら、それはそれで問題でしょう。下北沢はお店と住宅が隣接する街です。個別にそういうことが起こらないとも限らない。でも、それでいきなり下北沢に個性的なお店はいらないと排除の論理が働くとしたら、いくら何でも行き過ぎです。共存の道を探りましょうよ、と部外者の私でも口をはさみたくなります。ここでホームレスを引き合いに出すのは不適切でしょうが、新宿で行政によるダンボールハウスの強制撤去があった時に、私たちはベルク通信やミニコミ誌で「ホームレスを排除すればそれでいいのか?」と呼びかけました。私たちだって、店先にホームレスが寝ていて障害になればどいてもらいます(もちろん、ガードマンを呼ばずに直接、声をかけますが)。ある意味、矛盾しています。ただ、それはそれ、これはこれです。矛盾を回避しようとするあまり、自分の立場を一元化してしまうと、色々な可能性を閉ざしてしまいます。
お店が商売以外のことで声をあげるって、勇気のいることなんですね。どうあげたらいいかもわからないし。私は、自分たちの経験がいつかどこかで誰かの役に立つかも知れないと思い、なるべく事細かく残すようにしました。そういう壮大な気持ちもありますが、問題は依然未解決のままですので、追いつめられた気持ちもあります。私たちの声の中には、ほんの少し、悲鳴も混じっています。助けてぇ~!という。いや、本来、ホームレスもテナントも「声なきもの」です。声をあげられる立場にはいません。その中で私たちが声をあげられたのは、本当に沢山のお客様とメディアの応援があったからです。普通、ドン引きされるでしょう。今の日本じゃ例外的なケースなのです。そして、私たちが声をあげるずっと前から、シモキタヴォイス(下北沢商業者評議会)は声をあげていました。そのことに私は大変励まされました。
誰が何と言おうと、声をあげなければ何も始まりません。その一点だけでも、私はシモキタヴォイスの試みを断固支持します。
ベルク店長
井野朋也
下北から問う!日本の都市計画
9.9.20
ラヴ・シモキタ!
9,9.25
三脚使わず、
3台のカメラを同時に抱え
撮影したものですから、
シンポジウムも終盤戦、
そろそろ限界が、
映像には現れています。
写真は半日で撮りおろした
シモキタの街です。
迫川尚子
2009.9.6(日)
写真&映像 by 迫川尚子
音楽 by 井野朋也(shimokita2009)