Sさんの話①
パソコン壊れた〜。私のパソコンの設計及びメンテ担当者は、大林組の全コンピューター1万3千台を管理していた60代の人で、修理のついでに昔話を聞くのがやたら面白い。土木の現場に10年。ただし、自分たちの現場は土と水とセメントだったと。水の処理の大変さと重要さだけで一冊の本が書けそう。
Sさんの話②
私のパソコンのメンテをしてくれるSさんによれば、ドライバーが無意識にハンドルをきれるよう高速道路のカーブを造るには、複雑な計算が必要で、自分は80年初頭から自腹でコンピューターを買って、そういう計算をしていたという。それが見込まれて大林組の全コンピューターをまかされることになる。
Sさんの話③
土木の現場の叩き上げで、コンピューターが扱える人‥独学で自力でプログラミング‥は80年代にSさんしかいなかった。大林組に重宝され、高卒なのに部長に。きつい現場仕事から解放され、好きな計算がやれてラッキーだったと。全国の現場からひっぱりだこに。計測のソフトを次々に開発、改良を重ねた。
Sさんの話④
例えば、地図上は全長5Kのトンネルを掘るにしても、海抜0mか1000mかで実際の長さは変わる。地球は丸いから、中心から離れるほど長くなる。そういうことにも対応できるように計測ソフトを改良していくのだ。ライフワークになったのが、コスト計算のソフト。工事のコスト計算は複雑極まるそうだ。
Sさんの話⑤
希望退職の募集に応じ、一生暮らせるだけの退職金をもらって会社をやめ、今後一切、会社に関わらないと約束させられたSさん。数年後、会社から戻るよう頼まれた。勿論断ったが、話を聞くと、海外で巨額の赤字を出したという。コスト計算ができていなかった。海外版のコスト計算ソフト開発してほしいと。
Sさんの話⑥
月60万という条件が認められ、その仕事を引き受けた。結局、2年半やった。しかし、年をとったからというのもあるが、一度は解放された通勤ラッシュにまた戻ることは地獄だった。よく30年も耐えたものだとつくづく思ったそうだ。
Sさんの話⑦
という訳で、Sさんはコンピューターの扱いに関しては筋金入りなのだ。
Sさんの話⑧
フィルム時代、工事写真の管理は数が膨大で場所をとり過ぎた。大林組は建設省からデジタル管理を実験的にやるよう通達を受けた。Sさんはソフトを探し蔵衛門に決めたが、上限がたった5千枚だったので、メーカーに直接、上限なしのソフトを開発するよう頼んだ。これからきっとそういう時代がきます、と。
Sさんの話⑨
大林組の年に一回の総会に、蔵衛門は特例で工事写真のデジタル管理のプレゼンを許された。デジタルは修正可能、つまり改竄の問題が残っていた。聴衆から質問があった。改竄についてはどうすると。それに対する回答が見事だった。大丈夫。大林組にそんなことをする人はいない。会場は大喝采だったそうだ。
Sさんの話⑩
Sさんは、ビートルズ世代には珍しくビートルズの音楽に詳しい。いや、その世代の人にとってビートルズはあくまでも懐メロであって、今ここにある音ではないというイメージが私にはあるのだが、Sさんとは時代をこえてビートルズの音楽について話せる。だから尚更話がつきない。結局、パソコンは入院に。
井野
2013.8.27