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写真とベルクのあいだで/写真家迫川尚子公式サイト

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昨日の東京経済大学での「ふたりのNaoko」(トークショー)、会場は満席。終わった直後パネリストのお一人平井玄さんが「面白かった〜」と思わずうなる程、充実した内容だった。2人のなおことは、2人の写真家、南條直子と迫川尚子のこと。南條さんは、アフガニスタンで地雷を踏んで亡くなった。
南條さんと言えばアフガニスタンの印象が強いが、今回織田忍さんが編集された作品集『山谷への回廊』では、南條さんのもう一つのテーマだった「寄せ場」(山谷)の写真が初めてまとまった形で見れる。80年代の山谷から90年代からの『新宿ダンボール村』、そして今。色々考えさせられるトークだった
南條さんは、最初のアフガンの写真集を手にすることなく亡くなり、他の写真は自宅に無造作に保管されていた。織田さんはそこから80年代の山谷の写真を掘り起こし、昨年写真集にされた。そして今年、迫川の90年代の『ダンボール村』が出た。二つの写真集を通して見えてくるものがある、と平井さん。
織田さんは、南條直子さんの写真集を作るため、ご両親の理解と協力を得るのに苦労したと話された。身内にはわだかまりもあろう、よく頑張っとねぎらう平井さん。南條さんがアフガンで亡くなられたのが88年。迫川が弟のカメラを奪い写真を撮り始めたのが88年。単なる偶然だが、不思議な気持ちになる
織田さんは、迫川に南條直子の写真をどう思うか質問された。迫川は、自分には撮れない写真だと答えた。南條さんは報道写真家だが、報道写真には、状況の核心を一言でつく新聞の見出しのようなショットが要求される。迫川の写真は基本的にスナップで、一瞬一瞬の出会いがすべて(撮り方の違いもある)。
南條さんの写真のかっこよさは、ダンボール村消滅とともに写真をキッパリやめた木暮さんの写真のシャープさに通じる、と迫川は話した。平井さんは、あえて言えば南條さんの写真は非常時、迫川の写真は日常だと。織田さんは、迫川の写真について平井さんの「ここには顔がある」が重要な指摘だと思ったと
迫川は山谷で一枚も写真が撮れなかった。それがダンボール村を撮る原動力になった。それ以前に(山谷がある意味最も危険だった頃)南條さんはそこに住み(若い女性が‥後にも先にもないという)撮った。二人のなおこは時代も撮り方も生き方も違う。しかし、両者をつなぐ試みは想像以上に刺激的だった。