なぜ、国はあるのか?
ある批評家の言葉を借りれば、よそにも国があるから。
すご~く乱暴に要約してますけど。ただ、一理あるかな、と。
もし仮に日本という国がなくなって解放区か何かになっても、結局、よその国に占領されたら国の一部になってしまう‥。
はい。ここでいう国とは、風土や文化としての曖昧な国のことではなく、ここまでが日本、ここからが外国と線を引いて決める厳格な国のことです。
あるいは国には、国家権力という意味もあります。
国家権力。最大の暴力装置ですね。でも自国の政府を見る限り、何とも頼りなさそうで、そんな勇ましい感じはありません。
ただヤバいのは、他国に対して、です。
お隣の国は敵か?味方か?完璧に見分けることはできませんよね。あちらもそうです。お互い様なんです。たったそれだけの理由でお互い銃をつきつけ、睨みあうのです。
せーの、で両者が同時に銃をおろさない限り、睨みあったままでしょう。どちらがいつ何をきっかけに攻撃をしかけるかわからない。やられたらやり返せ。そうなりゃ国同士、国民総動員です。
備えあれば憂いなし。準備は着々と進められています。丹念に呪縛が解かれているのです。
えーっと、ちょっと待って。何やるんだっけ?
「お国を守る」「国際秩序を守る」といった美辞麗句が並びたてられるでしょう。
でも実際にあるのは、国の線引きによって生まれた疑心暗鬼です。それでお互い武装し、領土をとりあうのです。
勿論、そこには様々な利権やプライドがからんでいます。それがまた話をややこしくさせるのですが、私の知ったこっちゃありません。
と、いくら知らんぷりしても、国家がその気ならどうします?
私個人の戦争拒否権なんて認めらないでしょう。呪縛(法的制限や人々の抵抗)が解ければ、国家の論理が優先するに決まっています。
それに、いざ爆弾がふってきたら、関係ないなんていってられません。平和ボケしている場合じゃないのです。
国民同士、駆り出され、殺し合いさせられながら、でもふと思うでしょう。何のための殺し合いだっけ?
やっぱりよくわからない。このバカバカしさ。どうしてくれるのって話です。
文/井野朋也 写真/迫川尚子