週刊女性

「あなたには自分だけの居場所がありますか」と聞かれて何と答えるだろうか?  
 誰だって、ふだん人前で見せている「仮面」や「鎧」を脱ぎ捨て、素の自分に戻ってどこかでボケーッとしたいこともある。
それに、とっておきの美味しいものを、自分だけの『隠れ家』みたいなところで、回りの視線を意識せず食べたり飲んだりしたいことだってある。そんな欲求を満たしてくれる場所って、ありそうでなかなかないもの。ところが、そういう避難場所みたいな飲食店が存在した。新宿駅の東口構内。その名は『ベルク』。
 今回の主役は、同店の経営者・井野朋也さん(52)。お茶目で陽気な万年青年だ。取材当日も、往年の人気漫画『パーマン』のTシャツを着て現われ「パーマン2号で~す」とポーズを取る。その笑顔がチャーミングだ。
 彼は人生のパートナー(事実婚)でプロ写真家の迫川尚子さん(51)と同店を経営している。
 そして彼らを支えるお店のスタッフは、井野さんのお母さんと2人の弟さん、迫川さんのお母さんなど、社員10人、アルバイトは最大約30人。
 売上は年間約2億円で、休みは年に2日だけ。平日は1日平均1500人以上、土日祝祭日は2000人ものお客さんが押し寄せるので、連日、開店する午前7時から閉店する午後11時までを、社員・アルバイトの3交代制で回している。
「私も毎朝4時に起きて電車通勤で5時には入店し、2時間かけて清掃に励みスタッフと開店を迎えています」と井野さんは言う。  
 そしてそれを待ちかねたようにお客さんたちが雪崩れ込み、彼らの多くは席からあぶれ、立って飲み食いしている。セルフサービスなので、各スタッフはキッチン内を独楽鼠のように動き回りオーダーをさばき怒涛の1日を過ごす。
 それにしても不思議なお店だ。カフェのようでもあり、ドイツビアレストランのようでもあり、時として居酒屋のようでもある。朝7時からワイン、ビールや日本酒が飲め、午後11時までコーヒーにトーストが食べられる。
 たった15坪の店内には、新宿という街の混沌を凝縮したかのように、あらゆる職業・社会階層の老若男女が雑然と入り乱れ、そこに不思議な秩序が存在する。
 お客さん同士、面識はなく、会話はないけれども、ごく自然に場所を譲り合う。1人客が多いせいか声高にしゃべる人は滅多にいないし、携帯電話でわめく人もいない。
 井野さんは『ベルク』の特徴をこう表現する。
「“まるでトイレみたいな場所”と評した人がいます(笑い)。どんな職業、どんな境遇の人でも、この店に足を踏み入れた瞬間、そうした社会的な仮面や鎧を脱ぎ捨て、“素の自分”に戻って、秘めやかな自分だけの時間を過ごせるようです」
 最近、テレビの深夜帯で人気のドラマ『孤独のグルメ』の作者・久住昌之氏も、自身のブログで「世界の雑踏の中に、小さな自分だけの場所を確保したような、小っちゃな安堵」と表現している。

「お客様への私たちの最大のおもてなしはメニューです」と井野さんは胸を張る。
 その数、実に約200。しかも、ほとんどがワンコインで済むという安さだ。
『ベルク』には、コーヒー職人(久野富雄さん、55)、パン職人(高橋康弘さん、56)、ソーセージ職人(河野仲友さん、64)という通称「3大職人」がいる。
 それも、社員ではなく、それぞれが、各地で専門店を営んでいる日本屈指の「こだわりの名職人」たち。彼らが、井野さんや迫川さんたちの要望を聞き、毎日、『ベルク』のために納入し続けている。
 コーヒーを例に挙げるならば、「天日乾燥した新鮮な豆を世界中から探しています」(井野さん)という上質なコーヒーが1杯たった210円。
 お陰で、『ベルク』では一般のコーヒー店の1週間分のコーヒー豆をたった1日で使い切ってしまう。
 パンに関しては、逸品を求め迫川さんが関東一円のパン屋を駆けずり回った。
「でも、お陰で当時はすっかり胃をやられました」と迫川さんは振り返る。
「あるオシャレでおいしいパン屋さんを見つけ、『これだ!』って思ったんですよ。それで口説き落として、そこのパンを使っていたんですが、あるとき、ガクッと味が落ちたんす。先方にどんなに聞いても、『そんなはずはない。何も変わっていない』といった返答しか返ってこない。でも、実際には、石窯をやめて工場生産に切り替えていたんです。
 それでお取引きをやめ、また足を棒にしてパン屋めぐりをしました。そして、天然酵母の個人店(峰屋さん)と出会いまして。マスタードやケチャップをつけなくても、ソーセージとパンだけでおいしかったですから。そのあまりの素晴らしさに感動し、そこの高橋さんにお願いすることにしたのです」
 ハム・ソーセージ類も同様。たとえば、『ポークアスピック』。これは豚のある稀少な肉をスパイスなどでゼリー状にしたものだが、私など初めて食べた時、感動のあまり思わず涙があふれそうになった。
「私たちもショックを受けまして(笑い)それで、これを作っている千葉県の『東金屋』の河野さんを1年がかりで必死に口説いて卸してもらえるようになったんです
よ」(井野さん)
 こうした名人たちの「匠の技」だけではない。大手メーカーの製造した既製品でも、『ベルク』は味が違うという。

 20年間、1日も欠かさず『ベルク』に通い詰めている瀬尾和伸さん(54)というJRの運転士さんがいる。迫川さんによれば「毎週12回来店されるんですよ」というヘビーユーザーだ。その彼が語る。
「ギネスビールのような、どんな店にもある商品でも、全然味が違います。店での管理や注ぎ方の違いでしょうか。他店ではエグミを感じるので私は飲まないけど、ここではよく飲みますよ。『ベルク』は、どのスタッフが入れてもちゃんと『ベルク』の味になるのが良い点です。でも、機嫌が悪いときに注いだビールは味に角が出るので一発でわかりますけどね(笑い)」
『ベルク』は、どのメニューに関しても、こうした厳しくも温かい応援団がいるようだ。それを供するスタッフとしては、どんな思いなのだろう。
 コーヒー担当でコーヒーインストラクターと栄養士の資格を持つ今(こん)香子(きょうこ)さん(40)は言う。
「コーヒーもコーヒーマシーンも生き物なんです。時間の経過とともに、どんどん状態が変化します。また、お客様の味覚・嗅覚も、季節や天気、時間帯などによって変化します。ですから、どんな時に飲んでも“これぞベルクのコーヒー!”と思ってもらえるよう絶えず風味を調整することが大切です。お客様がコーヒーをおかわりされると、“あっ、きょうはうまくいったかな”と思わずうれしくなります」
 あたかも、お客とお店の真剣勝負を思わせる話であるが、スタッフのこうしたプロ意識の高さは、井野さんと迫川さんの日々の教育の賜物であろう。
 アルバイト出身で現在は社員の奈村武彦さん(31)は言う。「そりゃ、めちゃくちゃ厳しいですよ。バイトの頃なんて何度も辞めようと思いました」
 前出の今さんも「谷底につき落として、這い上がろうとするスタッフには手を差し伸べるって感じですね」と笑う。
 でも、厳しいだけではないと今さんは主張する。
「私は5年前に足の裏を痛め2年間ほど歩けなくなったんです。それでも、見捨てることなく、長い目で見てくれて、その時の私にできる範囲の仕事をさせてくれたんです。今もリハビリ中ですが、ふつうの飲食店ではあり得ないことです」。
 井野さんや迫川さんによるスタッフに対する厳しくも温かい指導と、お客さんたちからの厳しく温かいフィードバックが、『ベルク』というお店の独特の空気感を醸成しているようだ。
 
 ここで井野さんの人生を振り返ってみよう。
 1960年東京・四谷生まれ。父親は、詩人の故・井野利也氏。祖父は故・井野碩(ひろ)哉氏で、1941年、近衛文麿内閣、続く東條英機内閣で農林大臣を歴任。戦後は、1959年第2次岸信介内閣で法務大臣を務めた。
「この祖父が、新宿駅一帯の大地主さんと親しく、一緒に駅ビルを建てたんですよ。そして、新宿ステーションビルの初代社長に収まったんです。その後、脱サラした父に場所を提供して1970年に開かせたのが初代『ベルク』です。その頃は今とはまったく違った純喫茶でした」
 思春期の井野さんは、マンガと音楽を愛する『引きこもり』だったという。女性に対しても人並み以上に関心を寄せていたが、いつも片思いに終わっていた。
 そんな彼がリアルな恋愛に目覚めたのは、3年間浪人し、早稲田大学に入学するころだ。
「中野あたりで毎日酒ばかり飲んでいました。そんなある日、一緒にマンガを描いていた親友が家に連れてきたのが迫川でした。女子美術短大に通う学生でチャラくて可愛かったですよ」と井野さんは笑う。
 しかし「彼女は親友と結婚する」と信じていたので、迫川さんの小悪魔的な魅力に惹かれつつも、「飲み仲間の1人」としての節度を保ったという。
 それが変わったのは5年後。その親友が突如マグロ漁船で遠洋に出てしまう。
「実はその頃、2人の関係は破綻していて、それから逃れるように漁船に乗ったんですよ」と迫川さん。
 そこから井野さんと迫川さんの交際が始まる。しかし、困ったことがあった。
「考えてみれば2人の間に、酒以外の共通点が何もなかったんですよ」と井野さんは苦笑する。
 そこで一計を案じた彼は、デート先として、彼女を反原発の集会や勉強会、成田空港建設反対闘争などの映画に連れていった。そして誘うタイミングも、12日に1回、大安の日と決めていた。
 女性との交際に不慣れな(?)井野さんなりの戦略だったようだ。
 迫川さんの目には、それまでに出逢ったどんな男性とも違う「変わった人」と映り、新鮮だったという。
 遠洋漁業から戻った元彼が激怒し、井野さんを殴りつけ、迫川さんが一時、元鞘に戻るという一幕もあったものの、2人の愛は着実に深まり、人生のパートナーとしての絆を深めてゆく。
「当時、彼女は短大を出てテキスタイルデザイナーをやっていましたが、もっともっと別の才能があると私は思っていたんです」。
 井野さんは彼女に写真の魅力を教える。すると瞬く間に才能は開花し、彼女はプロの写真家へと成長する。
 一方、迫川さんも井野さんを大きく変えた。井野さんは言う。
「元々、私は、酒は酔えればよい、食べ物は満腹になればよいという価値観の持ち主で、味の違いなどには関心も知識もありませんでした。そんな私を変えてくれたのが彼女です」
 現在の『ベルク』における食への徹底した「こだわり」の原点はここにあった。
 大学を2年留年し、トータル5年遅れで卒業した井野さんは学習塾でバイト的に講師をしていたが、1990年、『ベルク』の経営権を母親から継承する(初代店主の父親は1982年に他界)。
 迫川さんも、井野さんの求めに応じ、写真と経営の両立を決意し副店長として人生を歩み出す。
 元々、種子島に生まれ、貧困の中、一家でブラジルに移民することが決まっていた彼女。それがちょっとした手違いで船に乗りそこない家族で上京。十数年の時を隔てて井野さんと出会い、ついに「自分の進むべき道」へとたどり着いた。
 井野さんとてそれは同じだ。迫川さんの愛を勝ち得ることで、それまでのモラトリアム人生に決別し、「進むべき道」を歩み始めた。
 その後の『ベルク』は2人の創意と努力によって現在の姿へと変貌してゆく。

 しかし、やがて『ベルク』にとって危急存亡の事件が発生する。
「2006年4月、祖父が初代社長を務めた新宿ステーションビル『マイシティ』が、JR系列の『ルミネ』に買収されてしまったんですよ」(井野さん)オーナーが変われば方針も変わる。翌2007年2月、井野さんは『ルミネ』から呼び出しを受け、『ベルク』との契約を、オーナーが一方的に更新拒否できる『定期契約』へ切り替えると告げられた。
「こちらに何の非もないのに、一方的に切り替えを宣告するなんて理不尽です。それに、それが新オーナーの経営方針だというのなら、全テナントを集めて説明会を開けば良いでしょ? それをしないで、各テナントを個別に呼び出して密室で圧力を加えるというのは納得がゆきません」
 井野さんは要求を突っぱねた。そんな『ベルク』を待っていたもの、それは「退去要求」だった。
 スタッフにも動揺が広がった。前出の今さんは語る。「恫喝されて怖かった。“ああ、もう追い出されるんだ”と思うと目の前が真っ暗になって、私は40度の熱を出して寝込んでしまったんですよ。そしたら、一番辛いはずの店長が明るく励ましてくれたんです」
 井野さんも、こうしたネガティブな情報をお客さんに知らせるかどうか悩んだ。
 しかし、ついに意を決し、『ベルク通信』という毎月2000部発行している壁新聞の中で真相を公表する。すると、ふだんしゃべったこともないお客さんたちから問い合わせが殺到。ベルク・ユーザーによる応援ブログも立ち上がった。
 彼らの声に背中を押され、2008年1月、立ち退き反対の署名用紙を店内に出した。
「そうしたら1ヵ月半で5000人分の署名が集まったんです」(井野さん)
 しかし、2008年9月、「来年3月までに退去しなければ家賃を2倍にする」という趣旨の文書が届く。
 この事態を受け、『ベルク』のお客さんが動いた。
 それまでお互い見ず知らずだった、あらゆる職業・社会階層の老若男女が、『ベルク』を守るという使命感の下、結束したのである。
 有名無名を問わず『ベルク』支持を表明する人々が続出し、署名も増え続け、ついに2万人に達した。
 井野さんは言う。「『ルミネ』を運営するJR内部でも応援してくれる人がいて社内で400人分の署名を集めてくれたんです」
 前出の常連客・瀬尾さんも『ルミネ』の社長に対し善処を求める手紙を出したほか、署名簿の提出など奔走してくれた。
 いかにJR系列の大企業といえども「お客様の声は無視できない」ということか、状況は徐々に変化した。迫川さんはこう語る。
「最初のうちは、『警告書』が送られてきたんですよ。うちは、何の違反もしていないのに物々しいですよね。 
でも、騒ぎが大きくなるにつれて、それが『通知書』へとトーンダウンしたんです(笑い)
この『通知書』だって、何度受け取ったことか。でも、次回の契約更新(来年3月)の半年前にあたる今年9月、ついに来なかったんです」
 
 大きな一歩ではある。お客さんたちの声が大企業を動かしたのだから。
 しかし、井野さんは、これで終わったとは思っていない。「先方としても、これまでの経験の中でお客さんたちの反対運動によって退去要求が頓挫したことがないので、現時点として、どうして良いのかわからないだけなんだと思います」。
 今後、また事態が動く可能性もあるという認識だ。
 5年前から常連の会社員マサヒロさん(28)は言う。「私にとって『ベルク』は生活の一部です。だから出張に出て『ベルク』に来られないだけでフラストレーションが溜まる。そんな『ベルク』がなくなるなんて想像したくもないです」。
 井野さんはしみじみと語る。「この騒動を通じて、『ベルク』がお客様にどれほど愛されているかということを初めて知ることができました。それは『ルミネ』さんのお陰です」
 助けてくれたお客さんたちには、東日本大震災で実家が被災した人も多かった。
 井野さんたちは、発生直後の食材支援だけではなく、現在も義援金による被災地支援活動を地道に続けている。恩返しである。
 それにしても井野さんご夫妻は本当に仲が良い。『騒動』を通じてその愛はさらに深化したのかもしれない。
 長年一緒にいると会話が減るものだが、この2人はますます増えているそうだ。
「一日中一緒にいるのに、家に帰るとまたひとしきりしゃべるんですよ。井野が自分の部屋に引きこもろうとするのを追いかけていって、私がまたしゃべる毎日です」。
 迫川さんはそう言って井野さんと大笑いする。
 この2人なら、今後何があっても困難を乗り越えてゆける、そう確信した。